劒岳周辺 仙人山、坊主山 2009年9月19〜20日
注意事項 |
所要時間
9/19
7:06 黒四ダム駅−−7:21 黒部川−−8:02 内蔵助出合−−9:32 内蔵助平(沢) 9:49
−−10:58 梯子谷乗越 11:44−−12:22 剣沢−−12:49 二股 13:37−−15:00 仙人峠 15:15 −−15:35
池ノ平(幕営)
9/20
5:41 池ノ平−−6:07 仙人峠−−6:16 雨量計ピーク−−6:26 仙人山−−6:36 2210m峰−−6:41
2210m峰−−6:54 2170m肩−−7:08 2143m峰−−7:23 二重山稜−−7:45 北側の2080m峰−−8:22 2051m峰−−8:43
2110m峰−−9:03 2140m峰−−9:10 2160m峰−−9:47 坊主山 10:14−−10:44 2160m峰−−10:53
2140m峰−−11:32 2051m峰 11:45−−12:35 2080m峰−−12:41 二重山稜−−13:09 2143m峰−−13:32
2170m肩−−13:58 仙人山−−14:12 雨量計ピーク−−14:21 仙人峠−−14:40 池ノ平(幕営)
南仙人山の稜線から見た坊主尾根。距離は近いが時間的には遠い山 |
敬老の日は2003年からは9月第3月曜日となり、それ以降は9月の3連休となって10月の体育の日と並んで秋の貴重な休暇となったが、今年は秋分の日と組み合わせて5連休。ただし天候がどうなるかは直前になるまで分からない。当初の予報では週末に台風が接近してこりゃダメだと思われたが、予報は徐々にいい方に転んで連休初日から晴れが期待できそうになった。本土には接近しないので風の影響も極端にはなさそうだし、もうこれで行かない理由は無い。
今回はどこから入るかも悩むところだ。池ノ平は2回行ったことがあるが、最初は黒四ダムから、2回目は室堂から往復しており、今回は「裏口」の欅平が魅力的だった。東京からのアプローチを考えると扇沢から入るのが順当だが、好天の5連休だから扇沢の混雑は想像を絶し、何時ころからチケット購入の待ち行列に加われば始発に乗れるのか予想が立たない。それに黒四ダムから歩くとして荷物満載の初日に梯子谷乗越を越えて池ノ平まで歩けるのか不安がある。前回はあまりの暑さでダウンして初日は真砂沢ロッジに息も絶え絶え到着した苦い経験があるが、涼しくなった今の時期でもきつい日程であることは変わりがない。初日は室堂まで上がって剣沢を下るのが最も楽だが、室堂までの混雑が恐ろしそうなこと、日が短いこの時期に出発時刻が遅くなることのリスクがある。もちろん金がかかるのも大きいが。これらのリスクと宇奈月まで車で回る距離の問題と、初日に欅平から池ノ平まで上がるのに必要な体力とを天秤にかけたが簡単に結論を出せるわけはなく、悩みぬいた末に黒四ダムから入ることに決めた。
金曜に仕事を終えて速攻で帰り、入浴、食糧調達を済ませて中央道に乗ったが、金曜夜の早い時刻だというのに異様な車の多さで下りの小仏トンネル入口で渋滞している。金曜のこの時刻で渋滞なんてことは長いこと中央道を利用しているが初めての経験で、5連休初日の渋滞を避けて早出する人が多いようだ。この状況でまずいことに談合坂SA付近で道路工事による車線規制を行っており8kmの渋滞が発生、渋滞通過に80分とのこと! 日中ならこれくらい我慢できるが行きのタイムロスはそのまま睡眠時間の短縮を意味する。「時は金なり」でここは金がかかっても時間を優先すべきで、渋滞に突入してすぐの上野原ICで降りて甲州街道で大月まで走って再び中央道に乗る。これにかかった時間は約40分だった。この後は順調に走って日付が変わる前に豊科ICで降りるが、こうでもしないと扇沢の駐車場が確保できる保証が無い。幸い、未舗装の市営駐車場はまだガラガラで最奥の日影となる区画に車を止め、酒を飲みながらパッキングを済ませて寝た。
早朝の市営駐車場 | チケット売り場の行列。まだ意外に短い |
黒四ダム駅 | 旧日電歩道出口は静か |
黒部川を渡る | 観光放水 |
春は雪に埋もれていた個所 | 下の廊下分岐。立入禁止のロープは無し |
高巻き道。かなり急 | 内蔵助谷右岸を登る |
少し笹が被る | 沢が出てくると休憩場所適地 |
旧日電歩道の案内を見るまでもなく勝手知ったる道を下って黒部川を渡る。観光放水で水量は多い。内蔵助谷出合から先は高巻きの道が連続、残雪期なら谷の上を楽々歩けてそっちの方がずいぶん楽だなぁ。足場の悪いとんでもない傾斜地を、荷物満載の大ザックでフィックスロープに掴まって登るのは骨が折れる。やっと登りが終わって沢沿いに緩く登るようになれば内蔵助平は間近で、笹が切れて幕営適地の広場を通過すると内蔵助谷を鉄橋で渡る個所に到着、ここで休憩とする。前回はここに到着した時点で暑さで死にそうだったが、今回はまだまだ余裕だ。でもまだ先は長く、体力温存でのんびり行こう。濡れタオルで体を拭いてさっぱりする。
真砂岳分岐 | 涸れ沢を延々と遡上する |
自然に登山道になる | 梯子谷乗越。奥が展望台方面 |
梯子谷乗越から見た仙人山 |
この先は小尾根を越えて梯子谷乗越へと続く涸れ沢を延々と遡上する。相変わらず周囲は笹の海で岩が転がる涸れ沢の中しか歩ける場所は無いので迷う心配もないが、目印は少ないし標識は皆無なので初めての人は本当にここがルートなのか心配になるだろう。やがて沢から登山道へと自然に切り替わり、ジグザグを切って高度を上げれば梯子谷乗越だ。ここへきてやっと仙人山が姿を現し、南仙人山との鞍部の向こうに坊主山の姿も見えた。黒部別山方向へ踏跡はあるが、前回同様すぐ上の平坦な尾根でおしまいでその先は笹藪だ。残雪期が懐かしい。ここまで来てまだ時間の余裕があり、しばし休憩。単独男性が上がってきて休憩。次の男性が上がってきたところでこちらは出発。
梯子谷乗越から見た内蔵助平 | 剣沢を渡る |
二股から見た三の窓 | 仙人峠への入口。初めての人には分かりにくい |
僅かに高度を上げてから梯子のかかる急な尾根を下り、樹林帯から大きな岩が積み重なった場所をトラバースし再び樹林中へ。剣沢は橋を渡って対岸へ。もう真砂沢ロッジで幕営などという考えは無く、池ノ平目指して右に進路をとり、無人の川縁を緩やかに下っていく。三ノ窓から流れる沢を吊り橋で渡ったところで最後の休憩。時間的余裕が充分あるので昼寝としゃれこむ、というか水浴び後に横になったら30分熟睡していた。日差しがたっぷりありTシャツのままで快適だった。この昼寝で今までの疲労が相当回復し、仙人峠向けて元気に登り出した。いつの間にか人がいて、近くの大岩でボルダリングを楽しんでいた。
小窓雪渓 | かなり標高を上げた |
仙人峠までもう少し | 仙人峠から見た坊主山 |
尾根に取り付いてぐんぐん高度を上げるが、秋とは言え日中の日差しは強く汗ダラダラで、濡れタオルで盛んに汗を拭いながらとなった。途中、ベンチがある肩では2名の男性が休憩中で、なおも上がると単独男性が歩いていたが道を譲ってもらう。峠まで標高差600mあり昨年夏の偵察時には何度も休憩しながら苦労して登ったのだが、今回のコースは累積標高差はもっとあるし荷物も多い(前回は1泊だが今回は3泊4日の食料)のに快調だ。これも昼寝のおかげだろう。休むことなく登り切って稜線の縦走路に飛び出し、僅かに登って仙人峠に到着。仙人池ヒュッテから散策の先客が1名、ベンチで休んでいた。ここまで来れば八ッ峰の岩塔群がド迫力だが、DJFならともかく今の私にとっては別世界だ。
少しだけ休んで登山者と話をしてから池ノ平へと下り始め、しばらく進むと単独男性の姿が目に入った。先を譲られて先行したが、足取りはしっかりしていて疲れた様子はなかった。初日に池ノ平まで入るのはどこから入山しても結構な労力が必要だから、この様子からして健脚と分かる。話をすると「真っ黒ネコさん」のお仲間であった。池ノ平小屋は真っ黒ネコさん等がお手伝いしているのは昨年の偵察で知っていたが、関係者と会うとは思わなかった。ボランティアで下界からアルコールやおつまみ等を持ち上げていた。ご苦労様。
小屋に到着して記帳し、幕営地の一番奥に場所を確保した。今はテントは小屋で張ったもの以外は私のしか無いが、明日は満杯になるのだろうか。小屋に近い場所は水汲み、トイレ等で人の行き来が激しいだろうから、一番奥が一番静かだろうと判断したのだ。それにここは稜線北端が僅かに持ち上がっており、それに近い場所の方が風を避けられるだろうとの判断もある。台風は小笠原から本州東岸を離れて進む予想で、台風による風は北東→北となるはずで、尾根の盛り上がりが風を防いでくれるはずだ。夜中に少し風が出たが、場所がよかったのかテントが揺れるほどではなかった。気温は最低で0℃まで下がって少し寒い程度だったが、明け方になると急激に温度が上がりだした。
朝の池ノ平小屋 | 仙人峠へと向かう |
運命のアタック当日の朝、まだ真っ暗な時間に起床し、テントから顔を出すと満天の星空が広がっていた。少し風が出ており、そのせいかテントは乾いており夜露は降りていないようで藪は乾いていると思われ、藪山にアタックするには最適な環境が整っている。朝飯を食って出発準備が終わる頃にはすっかり明るくなり、メインザックに水3リットル、食料、ゴア、スパッツ、アタックザック、防寒着類を入れて出発。さて、ここに何時に戻ってこられるだろうか。DJFは仙人峠から山頂までの往復に休憩込みで11時間を超える時間が必要だったが、彼が登った時の天候は前半はガスっており藪も濡れてゴアを着ての行動だったので、今日の天気と比較して条件は厳しかったのは確実だ。しかし、いくらなんでも半分の時間では無理だろう。山頂渉猟著者の南川氏でさえDJFと変わらない時間かかっている。南川さんはクソ暑い真夏に往復しているのでこれまた厳しい条件だったが。まあ、常識的に考えて丸1日だろうなぁ。もしもっと早く帰ってこられたら、藪が乾いているうちに南仙人山でも往復するか、なんて甘く考えていたが・・・
仙人峠から見た剣岳北方稜線 | |
仙人峠から見た北ア | |
雨量計への踏跡入口 | 草紅葉の池平山 |
ここも紅葉が始まっている | 雨量計 |
雨量計ピークから見た坊主山 |
仙人峠に向かう途中、日ノ出の日差しが八ッ峰の岩峰を赤く染める。峠に到着し、気合を入れて地面を這ったトラロープを越えて雨量計への踏跡に入る。踏跡の濃さは昨年と変わらず、迷うことなくピークへと登っていく。予想通り藪は全く濡れておらず、これならゴアはどこかでデポしても問題なさそうだ。雨量計ピークに到着して明瞭な踏跡はおしまいであるが、尾根を忠実に辿って薄い笹藪に突入する。ここには色が抜けた赤布が垂れているのは昨年と変わらない。最初は全く踏跡は見られないが進むに従って徐々に明瞭になり、部分的には道があるかのようだ(たぶん本当に人間の踏跡なのだろう)。まあ、これも昨年と変わらないレベルのように思えるが。
薄い踏跡で仙人山へ向かう | 仙人山山頂。背景は鹿島槍 |
2210mU峰 | 2210mU峰から見た池ノ平。黄色いのが私のテント |
2210mU峰から見た仙人山 | 2210mV峰から見た仙人山、2210mU峰 |
2200m肩から見た坊主山とそこに続く尾根 |
この先はしばらくはまだ断続的に踏跡があり、青いグラスファイバー棒が立った2210m峰群を越える。稜線東直下に昔の道形と思われる木が無い筋があるのでそれを使おうとしたが、今は笹に覆われた斜面と化しており、斜めになった地面で笹の上に乗ると乾いていても思いっきり滑ってコケて藪より歩きにくく、笹も無いくらい明瞭な道形区間以外は灌木藪でも正確に尾根直上を通った方が楽だった。これがDJFが歩いた時のように濡れた藪ならなおさらだろう。
2170m肩(小ピーク)へはナナカマドを中心とする灌木藪をかき分けながら下っていく。あ、そういえばこの尾根の灌木の中には濃いブルーの実を付けたクロマメの木?がたくさん存在し、今はちょうど食べごろで甘みの中に適度な酸味が混じり、これがなかなかのお味だった。私が見たことのあるクロマメの木はずっと低くて森林限界に生えている草のような低木なのだが、ここのは1mくらいの直立した灌木だ。同じような木(ほとんどそっくりだった)で赤い実を付けたものもあるが、まさかこれはコケモモだろうか? コケモモこそ地を這う草のような様態しか見たことが無いぞ。赤い実の方は酸味がなく口当たりはいいのだが、疲れた体は酸味を欲するようで濃いブルーの実の方がおいしく感じされた。しかし、これだけ多量の実がなっていると熊が食べに来てもおかしくなかろう。真面目に実を摘んでいたらザックが満杯になってしまうくらいだ。
ちなみに熊よけの鈴を付けて歩いてたが、藪が濃くて途中で藪に絡めとられて紛失してしまった。いつもは予備を持っているのだが、今回は荷物を減らす意味で予備を置いてきてしまったため、以降は時々手を叩きながら進んだ。この藪では帰りがけに絶対に鈴を見つけることは不能と思い、復路に探しながら進むようなことはしなかったのだが、奇跡的にも藪の中の地面に落ちているのを発見してしまった。この藪ではよほど細い尾根以外は同一ルートを正確に歩く確率はゼロに等しい。北海道の1839峰でもこの鈴は藪(ハイマツ)に絡め取られたのに帰りに回収できたし、戻ってくる運命にあるのだろうか。
2170m肩から見た坊主山 | |
2170m肩から東を巻き気味に草付きを下る | 2143m峰に続く尾根は灌木に覆われる |
2170m肩を振り返る | 2143m峰から見た坊主山 |
2170m肩でグラスファイバー棒が終わり、東直下の道形を辿って稜線のハイマツを避け、前回の経験を生かして北へと屈曲する尾根直上の灌木藪を避けて、尾根東側の草付き帯を斜めに下っていく。この付近は稜線東側直下に木が無い一筋の古い道形があるのだが、今は笹に覆われた斜面でかえって歩きにくく、結局は藪を漕いで稜線に戻った。雪深くて根曲がり竹や「根曲がり木」が濃い場所では、尾根直上以外は進行方向に対して横に寝た竹、木が邪魔し、極端に進行速度が鈍るので、藪は濃くても尾根のてっぺんの方が歩きやすい。
2130m肩から振り返る | 2130m肩の下り。急で藪濃く下部の様子が見えない! |
2143m峰直下で再び東側直下の道形が復活して楽々進めるようになるが、このような道形はここが最後となり、この先では人工物は皆無に近い。少しだけのハイマツの藪を分けて尾根に戻り、尾根を外さないよう注意しながら笹をかき分け、急な尾根を下る。標高が落ちる影響か今までよりも藪の濃さが1段上昇し、足元が見えない状況となって下りの傾斜がきついと先の様子が皆目掴めず、尾根上に生える高い木の位置を参考に尾根中心部を推定して下るしかない。帰りの登り返しはここが一番きつかったが、登りでは尾根の形が見えやすいのでルート取りは簡単だった。
ようやく傾斜が緩んで尾根が水平になるが、藪の濃さは変わらず笹と背丈を超える灌木で本格的な藪漕ぎが続き、傾斜が無くなって重力の助けが無くなった分だけスピードが落ちる。標高が落ちてハイマツが無いのが救いだが、いやらしいことに尾根上には直立せず地面に寝た幹の太いダケカンバが少なからずはびこっており、これを越えるのに苦労する。一番疲れるのが寝た枝や幹を乗り越えるのに足を高く上げなければならないことで、回数が少なければ問題ないが、長距離で無数の藪を乗り越えると後半になってボディーブローのように効いてくる。迂回しようと斜面に下ると滑りやすい笹や細い潅木の幹の上に乗ることになり、乾いていても足が滑って腕力で全体重を支える必要があり、握力と腕の筋肉が猛烈に疲れたので2回くらい迂回しただけでその後は稜線上を行った。
二重山稜鞍部。草に覆われる | 2080m南峰付近から見た2130m肩 |
藪の中から左手に別の尾根が見えてくると2070m二重山稜地帯で、ここで尾根を乗り換える。灌木藪でも下りは楽勝で、谷間に下ると草付きで藪が切れオアシスだ。昨年7月の偵察時には残雪が詰まっていた凹地は今は乾きかけた湿地となっていた。草やシダは生えているが藪や岩が無く、地面が水平とはいかないがこの尾根上で唯一テントが張れそうな場所だ。ただ、ここだと距離的には仙人峠から坊主山までの1/3程度進んだ場所で、この先の藪の深さを考えると1/4くらいしか進んでいないと言っても過言ではなく、テン場にするには峠に近すぎる感は否めない。
2080m南峰付近から見た2080m北峰 | 2080m南峰/北峰の間にある露岩 DJFに命名して欲しい(単純に双子岩とか?) |
2080m北峰山頂付近。結構な藪に突っ込む | 2080m北峰で左に進路を振り鞍部目指す |
谷を越えて西側の尾根に乗り移ると若干だが藪が薄くなったように思えたが、すぐに今まで同様の笹+足上げ必要な灌木藪となった。こっちの尾根にはシラビソが混じり、これが尾根のど真ん中にいるといっそうやっかいだ。なぜかと言うとシラビソは地面近くから四方八方に枝を伸ばしており、狭い尾根にこいつが根を張っていると迂回するわけにもいかず、枝の中に突入あるのみだ。多くは地面に這いつくばって一番下の枝と地面との隙間を潜りぬけるが、小ぶりのシラビソの場合はその隙間が無くて強引に乗り越えることになりいっそう疲労が増す。この尾根の中でも2つの2080m峰の間が一番藪が濃く、晴れていても樹林で展望が無く、尾根が僅かでも広がると進路を見失いやすい。ただ、ピーク間にあるDJFの写真にも出てくる2つの岩は目立つ存在でいい目印になる。露岩がある場所は藪が無く、短い区間ではあるがここはオアシスだった。2つ目の2080m峰では平坦な山頂部で左に曲がる必要があるが、樹林の隙間から何とか目的の尾根を見通して、これまたシラビソと地面の間を這いつくばって尾根に乗った。ここは直進してしまいがちなので、藪の隙間から周囲の地形をよく確認する必要がある。少しの間は発達したシラビソ樹林が続き、地面付近の灌木は薄くて今までより格段に歩きやすくなる。尾根の西側を歩くのがポイントだ。
鞍部向けた下りから見た2080m北峰 | 再び潅木藪と格闘 |
藪の隙間から2110m峰 | 折れた檜の枝にメインザックをデポ |
2051m峰を中心とする2つの鞍部付近は灌木藪が深いが尾根が細いので迷うようなことはなく、がむしゃらに藪をかき分けたり足を上げて体重をかけて木を踏みつけて乗り越える。ここまで来れば坊主山まで中間点を過ぎただろうし、そろそろもっと荷物を減らしてザックを小さなアタックザックに代えてもいいだろうと、ザックをデポできそうな帰りにも失うことが無いような明瞭な場所を探しつつ進んでいく。尾根上で藪が切れた場所が理想的だがこの尾根はとにかく藪が切れない。かといって藪の中にザックをデポしたらいくらGPSがあるといっても誤差数10mは覚悟しなくてはいけないので探すのは困難だし、目印を付けてもそもそも目印が見えるかも不安が残る。そんな状況の中、いまいちはっきりしない2051m峰のてっぺん付近で大きな檜の枝が折れて尾根上の藪を押しつぶしている場所が登場、これなら稜線を巻かない限りは見落とす心配はなく、食料の半分、水1リットル、ダウンジャケット、それにGPSをアタックザックに突っ込み、残りは薄くなった大ザックごとデポする。おまけに少し休憩だ。
2110m峰へと登る | 稜線西直下のシラビソ樹林中に獣道あり |
軽く小さくなった荷物で出発、軽くなったことで足も軽くなり、ザックがディーパックに化けたのでシラビソを潜るのが格段に楽になった。2重山稜でこっちに切り替えておくべきだったなぁ。稜線北側はシラビソで、稜線直下を巻くように明瞭な獣道が付いている区間もありそこだけは楽できたが、獣道が無い場所は延々と灌木と格闘が続く。ここの藪も2080m峰同等の濃さだった。
2110m峰から見た仙人山方面 | 2100m鞍部へ下る |
2100m鞍部から見上げた2140m峰 大きな露岩は左を巻いた |
2140m峰取り付き。何となく踏跡あり |
2110m峰で進路を左に変えて濃い樹林の藪をかき分けて鞍部へと下ると露岩混じりの急な登りが始まる。尾根の入口は狭く露岩となっていて取り付くのは難しそうだが、稜線のすぐ東側に踏跡のようなそうでないような筋があった。今まで灌木藪で踏跡などほとんど無かったのが、ここへ来て露岩混じりの薄いシラビソ帯となって露岩を避けて適当に歩きやすいところを登れるようになった。それに全体的に傾斜が急で稜線は不明瞭となり、どこでもいいから上を目指せば良さそうだ。だから踏跡があろうが無かろうがどうでもいいのだが、踏跡というものは歩きやすい所にできるのだろう、私が選んだルート上にDJFの報告にも登場する古い針金があった。DJF同様にここに設置する必要性に疑問を感じるが。尾根は無いし藪が無いので帰りのルート取りは難しく、紙テープによる「時限式目印」を頻繁に取り付けながら進んでいく。
DJFも見た針金 | 巨岩下を西にトラバース |
狭い谷を登った(上から撮影) | 2140m峰西縁に出た |
その先で大きな露岩が登場するが、ここは何となく左に踏跡があるように思われ左に逃げていく。棚状になった部分を歩き、右手の露岩が切れて土とシラビソ樹林が上部まで続く小さな谷状の場所から上を目指した。途中、ちょっとした段差を強引によじ登る個所もあり、万人に進められるコース取りとは言い難かった。ここに雪が付いたらザイルが無いと下れないだろう。南川さん、DJFは右から巻いたようだが、たぶんそちらが正解だと思う。
2140m峰から見た2160m峰 稜線上のでかい露岩は乗り越えたがたぶん右から巻ける |
低いシラビソ樹林を抜けるとひょっこりと2140m峰に飛び出した。西側を迂回してきたので出てきたのは山頂西側からで、帰りはこの入口は分かりにくいので再び時限式目印を取り付けた。お、そういえばルートの分かりにくいこの登りでも目印類は一切見なかったので、想像以上に無雪期に坊主山を目指す人はいないようだ。てっぺんは露岩の上なのですこぶる展望はよく、2160m峰の向こう側に目指す山頂がちょこんと見えていた。
2160m峰から仙人山方向 | 2160m峰から坊主山。かなり近いのだが・・・・ |
2160m峰への登りでも尾根上に露岩が立ちはだかるが、いい感じの場所に矮小な唐松が生えており、可哀そうだが踏み台代わりにして高さを稼ぎ、露岩のホールドまで手を延ばして乗り越えることができた。でもたぶん右から巻けたなぁ。それ以外は邪魔になる露岩はなく、これまた展望がいい2160m峰のてっぺんに到着。ここからは坊主山山頂は間近に見えるがてっぺんは深い樹林のようで展望が楽しめるとは思えず、ここで360度パノラマ写真を撮影しておく。ここは剣北方稜線と後立山に挟まれた稜線上なので両者の大展望を同時に楽しめる。この風景を目にしたことがある登山者は年間でも数えるほどしかいないだろう。
獣道のある笹原を行く。ここは楽だ〜 | 再び藪に突入 |
いよいよ最後の登り。けっこうに急 | シラビソが濃くなると稜線西側を中心に獣道 |
低い灌木帯を緩やかに下ると腰程度の笹が広がる平坦地となり、その中に明瞭な獣道が伸びていた。こんな状態が続いていたら山頂まで楽に登れるのだが、そうは問屋が卸さない。徐々に樹林と灌木が濃くなって歩きにくくなり、山頂は目前なのに速度が上がらない。尾根の傾斜が出てくるとシラビソが深くなり、主に稜線西側に獣道が登場して露岩を巻いたりシラビソの下に潜ったりしながら高度を上げる。獣道が消えて藪に突入すると同時に尾根に戻り、帰りのことを考えてそこに目印を付けておいたのだが下りで見つけることができなかった。まあ、紙テープだから数回雨が降れば溶けて地面に落ちて自然消滅するけど。
坊主山山頂。傾いた三角点あり | DJFのちぎれたピンクリボン |
坊主山から見た剣岳北方稜線(クリックで拡大) | |
坊主山から見た後立山(クリックで拡大) |
シラビソと灌木の藪をかき分けて高みに達すると、予想に反して樹林が切れて矮小な木しか生えていない坊主山山頂に到着、山頂は三角点の南側の少し高まった場所で、ごく背の低い細い灌木類に覆われており、その北側と東側が白い砂礫地だった。三角点は傾いて立っており、その西側の低いダケカンバにDJFの半分千切れたピンクリボンが唯一の目印として垂れている他には人工物は一切なかった。残雪期に登った人は山頂に目印を残すことはできないだろうが(もしかしたら山頂付近は雪が早く落ちる可能性もあるか)、無雪期の藪を長時間漕いでこんな超マイナーな山に登ったら、山頂標識はともかく赤布くらい残していくだろう。しかし目印はDJFリボン以外皆無であり、途中でも目印類は皆無だったことを考えると無雪期に登る好事家は皆無に近いようだ。山頂にも尾根上にもゴミは落ちていなかったし、あえて人間の痕跡らしきものと言えば、灌木藪を無理やり乗り越えたようで木の股が割れているのが数か所で見られたくらいだ。それも新しいものではなかったのでDJFが1年前に作った傷かもしれない。まさか野生動物がこんな無理なコース取りはしないだろう。
今日も快晴で周囲の山がずらり。八ッ峰と池ノ平山が一番目立つ存在だが、ドーム型のウドノ頭も存在を主張している。後立山が北から南まで並んで黒部川へと落ちる枝尾根の各山もくっきりだ。先日DJFが登ったばかりの餓鬼山は目の前だ。今日は後立山の各山は大賑わいに違いない
帰りにかかる時間を考えるとあまりのんびりもできず、小さな荷物を背負って山頂を辞した。もちろん、その前にDJFのリボンに落書きを追加するのは忘れなかった。
予想通り帰りの藪漕ぎは苦しかった。灌木藪を乗り越えるのに上げ続けた足が最初に厳しくなり、次は藪をかき分けるのに使った腕だ。足の疲労は厳しく、1つピークを超えるたびに座り込んで短時間の休憩が必要だった。水の消費も激しく3リットル持ち上げて正解だった。メインザックのデポ場所は正確に覚えていなかったので、なかなか登場しなくて焦ったが、ちゃんと倒れた檜の上に乗っていて一安心。2つの2080m峰を越えて最後の激藪をかき分けて2143m峰に登りつめればもう安全圏内といえよう。まだ藪が続くが標高が上がった分薄くなる。仙人山にデポした荷物はそのままの状態で石の上に乗っていた。見下ろす池ノ平小屋は色とりどりのテントの花がいっぱいになっていた。さすが5連休2日目で入山2日目でここまで届く人が多い。
雨量計ピークでは予想外にも登ってくるパーティーが。5人くらいいたが、今日は南仙人山三角点を訪問し、これから仙人山を目指すという奇特なグループだった、というか、先頭の女性が積極的でみんな引っ張られてきたような感じだったが。山頂はこの先のピークだと教えて、入口は踏跡皆無だがそのうち道らしくなってくるから尾根を外さないよう進むようアドバイス。まあ、南仙人山に登れたのだから問題なかろう。そう、その南仙人山については、ここからも見えている仙人池ヒュッテ裏のお花畑から踏跡が断続的にあるとの情報をいただいた。これはDJFの記録にもあるが、問題はお花畑のどの辺から山に取り付くのかだが、これは現場で踏跡を頼りに探してみるか。下り始めたがこの後も単独行の2人が別々に上がってきており、いつのまにか仙人山に登る人が増えたらしい。大した距離ではないので、大型の剪定ばさみで誰か山頂までちょっとだけ刈り払ってやると人気が出るかもしれない。
池ノ平小屋に戻るとテントがいっぱい | 白ハゲの上にテントらしき物体が |
峠に戻り池ノ平へと下り、部屋にいた管理人に無事帰還の報告。真っ黒猫さんのお仲間は小屋のお手伝いで五右衛門風呂の管理とのこと。そろそろ夕食の時間でもあるし、スタッフ(というか常連さん)のみなさんが一番忙しい時間帯であろう。挨拶は明日朝にして、こちらはテントに戻った。周囲はすっかりテントに囲まれ、遅いご到着のパーティーは草地の上に設営していた。すぐお隣のパーティーは劒岳から北部稜線を越えて小窓雪渓を下ってきたそうで、この天気で連休だから稜線上は大賑わいだったそうだ。
今日は長時間の藪漕ぎでエネルギーを使いすぎたようで、夜になって気温が下がると寒気を感じるようになった。これは体温が低下しているせいで、運動量が多かった山の下山後にこれが生じることがある。日帰りの山なら下山後に寒くてもいっぱい着込んで厳冬期用シュラフにでも入って寝ていれば回復するのだが、ここは山の中のテント場で防寒装備も限られる。着られるものは全て着て酒を飲んで寝たが、夜中は寒くて熟睡できなかった。