立山周辺 木挽山、奥木挽山 2008年6月13〜14日
木挽山と奥木挽山は頭の痛い2000m峰だった。私が知る限り、過去に木挽山に登ったのは地形図記載の2000m峰に全て登った2人だけで、2000m峰完全制覇まであと一歩の我らが「怪人」こと武内さんでさえ未踏だろう(たぶん)。地形図記載でなく日本山名事典記載の奥木挽山については登った人がいるか不明である。ネットで検索しても両山とも登山記録や登った山のリスト等は1件もヒットせず、ヒットするのは北海道にある木挽山ばかりだった。
木挽山と尾根がつながる越中沢岳は2002年8月に立山から薬師岳まで縦走したときに登っているが、当時は1泊で歩くことを優先して木挽山に登ろうという考えは全くなく、越中沢岳からつながる尾根の様子は全く気にしていなかったので踏跡の有無や植生は不明であるが、場所、標高から考えると立ったハイマツの海という最悪パターンである可能性がかなり高い。それでも短距離なら無雪期に往復することは可能だろうが、途中にアップダウンがあり距離も長い今回の場合は相当困難と予想される。山頂渉猟著者のように下から攻める場合は地獄のハイマツは山頂近くしか出現しないと考えられるが、そこまでの藪は相当なものだろうし、おそらくは木挽山から奥木挽山の尾根上はハイマツだろうから同様に無雪期はまず可能性は無い。
こう考えると残雪期に登る以外に選択肢はないが、問題はその時期とルートである。最初に思い浮かんだのは越中沢岳から往復することであったが、これには大きな問題があった。夏ならば立山室堂から入山すれば半日で五色ヶ原まで入ることができるが、この夏道は稜線上ではなく鬼岳近辺は東斜面を巻いているので、残雪期は間違いなく雪の急斜面で巻くのは危険だろうし、たぶん稜線上は岩稜帯で同様の危険度だろう。地形図を見る限りでは龍王岳からの下りやザラ峠への下りもかなりの急斜面で、雪が付いたらやっかいそうである。もし入山するとしたら御山谷を大きく下って巻くのが安全策だろう。もう一つの夏道である平ノ小屋から五色ヶ原へのコースについては、黒部湖を延々と巻く夏道がくせ者で、ここは歩いたことはないがずっとトラバースコースが続くので黒四ダム〜内蔵助出合までのような道だと雪が付いていたら雪の急斜面のトラバースで危なくて歩くことはまずできない。
唯一の登山記録は山頂渉猟であるが、よりによって夏の無雪期にヌクイ谷を遡上して登っているので真似することはできそうにない。本当に困った! ここ数年間いろいろと考えた結果、当初は大型連休付近に室堂から入ろうかと考えていたが、そのうちに黒四ダムから平ノ小屋間の雪が消えた直後に平ノ小屋に入り、あとは五色ヶ原、越中沢岳経由で往復した方が安全性が高いし東京からだったら近いと考えるようになった。問題はダム周辺の雪が消えて稜線に雪が残る時期で、黒四ダム〜内蔵助出合の夏道が使えるようになるのは5月中旬くらいから(ただし完全に雪が消えるわけではなく谷は雪渓が残ってトラバースが必要)なので、5月下旬から6月中旬くらいがチャンスだろうと予想した。早ければ早いほど稜線の雪が消える心配は無くなるが黒部湖周辺の危険性が高まるので時期の選択が成功への第一歩だ。
今年にチャレンジするか来年以降に後回しにするか考えたが、未踏の2000m峰がだいぶ減って難易度が高い山がズラリと並ぶ中では木挽山は技術的に難しいわけではなく、硫黄尾根などよりはまだ登りやすいだろうと考えて梅雨の晴れ間を狙って挑戦することに決めた。2日間の好天がなかなか続かず天候待ちで6月中旬になってしまったが、今週末は梅雨前線が南下して金曜日から日曜日まで晴天が約束されたので実行を決定、金曜日は有給休暇を取得して木曜夜に東京を出発した。自分で言うのもなんだが、私の仕事ぶりは常人以上のスピードで工程程計の半分程度の期間で片づけることもあって、自分の担当分は常に前倒しで進んでおり堂々と有給を取ることが可能だ。平日夜間の扇沢駐車場はガラガラであったが、下山してからのテントの虫干しを考えると一番遠い未舗装の駐車場が適当なのでそこに車を置いて酒を飲んで寝た。
土曜午後の扇沢駐車場。ガラガラだった | 扇沢から見た爺ヶ岳南峰 |
この時期の始発は7時半だし、大型連休と違って始発のバスに乗りきれない心配があるほどお客がいるとは考えられないので、のんびりと起きて朝飯を食べて25分前に車を出てチケットを購入、連休時には上りの階段まで待ち行列ができていたが今回はゲート前に並んでいるのは20人を切るくらいとがらんとしていた。大ザックのパーティーの姿があったが山登りではな魚釣りとのことで、登山者は私一人だった。始発のバスは1台だけで全員座っても座席に空きが生じたほどだった。
黒四ダムを渡る |
ダム下流の日電歩道の橋は壊れたまま 今は放水前だが放水が始まったら渡れないぞ |
黒部別山南峰と大タテガビン | 奥木挽山が見えている |
黒部ダム駅を降りるが今までは日電歩道方面しか行ったことがないが、今回は釣りパーティーがそちらに向かった。太い通路を黒部ダムの案内標識を頼りに下っていくが、帰りは最後にここを登るのか。お年寄りは大変かもしれないが、どこかにエレベータでもあるのだろうか。ダム堰堤に出ると視界が開け、連休に登った黒部別山南峰は既にほとんど雪が消えて真っ黒だった。上流側には白い稜線が見えるが赤牛岳周辺だろうか。その右手手前に真っ白な山が見えるが、これは木挽山付近だろうか。あれだけ雪が付いていれば簡単に登れそうだが。ダムを渡ってケーブル駅入口手前で左に曲がってトンネルを抜けると遊覧船乗り場で、吊り橋の向こう側は観光客の世界からハイカーの世界に変わる。
ロッジくろよんへ向けて歩いていると反対側からスーツを着て紙袋を下げた男性が下ってきた。観光客かなと思ったらどこへ行くのかと聞かれたので、ロッジくろよん関係者らしい。まさか木挽山とは言えないので無難に五色ヶ原と答えたら、この先の登山道の状況を詳しく教えてくれた。今年の登山道の整備はまだで、沢にかかる橋が2カ所で落ちており、梯子で急斜面を上り下りする谷は雪が残って残雪の急斜面が待っているとのこと。もっとも、この人は長靴で下ったとのことだったが。橋が落ちた沢は渡渉可能か聞いたところ「できないことはないが・・・・」と歯切れの悪い回答。まあ、最悪は靴を脱いでジャブジャブ覚悟だな。残雪は1800mより上で出てくるとのことで、基本的には湖岸の道には雪はないそうで一安心だ。
タンボ沢は橋で渡れる | 行きは崩壊していなかった雪渓 |
この沢は橋が崩壊しているが飛び石で渡れる | 御山谷の落ちた橋 |
御山谷は靴を脱いでここを渡った |
ロッジくろよん前を通過して最初のタンボ沢はしっかり橋が架かっており問題なく渡れた。雪渓の残る沢は上下から雪が融けて危なげなスノーブリッジがかかっていたがどうにか渡ることができた。ただし帰りは崩壊していたので限界ギリギリだったようだ。まあ、高さは1mくらいだし水量は少ないので崩れても命に関わるようなことはなかっただろうが。いくつか小さな沢も簡単に通過(橋が落ちていても問題なかった)が、湖面から大きく引っ込んだ御山谷で状況が一変した。丸太を束ねた橋が真ん中から折れているのは今までと同じだが、今までの沢より水量が多く、石の配置がよろしくなく飛び石づたいに渡れそうな場所がない。下流の湖面付近まで下って渡れそうな場所を探したが見あたらず、しかたなく登山靴を脱いで一番流れが緩やかで水深の浅そうな場所を選んでジャブジャブ渡ることにする。水流が緩やかで水面が穏やかなら川底の石の様子がわかってケガを防ぐことができるがそのような状況ではなく裸足で渡るのはイヤだったが他に方法がない。水深は膝丈程度だが流れがあるので腿まで水が上がってきてわずかにズボンが濡れてしまった。まあそんなことよりも雪解け水の冷たさが無茶苦茶苦痛だった。登山道が整備される前にここを通行する場合、長靴等の渡渉対策をすべきだろう。
この谷も橋崩壊だが問題なし | 倒木多数だがこいつだけは高巻きが必要 |
問題の梯子急斜面下りの雪は消えていた | 対岸も梯子の急斜面 |
1つめの斜面崩壊箇所 | 2つめの斜面崩壊箇所 |
その後は大した障害はなく湖岸の道を延々と歩く。ただし倒木があちこちにあって1カ所は乗り越えることも潜ることも不能で上方を高巻きした。斜面崩壊で登山道も崩落している箇所は2カ所あったが、ここはさほど困難なく通過できた。おそらく新たに桟橋を作ると思われる。雪渓が残る沢でしばし休憩。次の沢が梯子で上り下りする場所だったが、斜面の雪は完全に融けて梯子が露出して問題なく通過、男性の話は1週間とか前の話だったようだ。
中ノ谷の崩壊した橋 | 中ノ谷で飛び石伝い渡れるのはここだけ |
これであとの心配は大きな中ノ谷が渡渉できるかどうかだ。中ノ谷の御山谷同様湖岸から引っ込んだところで渡るので遠回りとなり、川辺に立つとここも橋が真ん中から折れているのが見えるが、御山谷よりも水量は少ないように見えた。河原に降りて靴を履いたまま渡れる箇所を探したら、河原に降りた場所の目の前にちょうどいい具合に石が配置された場所があり、簡単に対岸に渡れた。ただ、ここは核心部の石に高低差があり、黒部ダム側から歩くときは低いところに下る方向なので簡単だが、帰りは登りになるので飛びにくいところだ。まあ、成人男性なら大丈夫だろう。飛び石が使えそうなのはこの1カ所だけだった。
平ノ渡船着き場 | 平ノ小屋から見た黒部湖 |
営業前の平ノ小屋。この翌日に小屋開け作業開始 | 平ノ小屋から見た越中沢岳付近 |
あとは半島状に突き出た岬を回ると営業開始前の平ノ小屋に到着だった。おっと、その手前で平ノ渡の船着き場があったな。小屋周辺はブナに覆われているが木挽山北から分岐して東に延びる尾根が見える場所もあり、尾根上方にはまだらに雪が残っているのが見えた。このぶんだったら下方は藪漕ぎでも稜線に出れば残雪が利用できそうだ。当初計画の五色ヶ原経由では鳶山を越えて標高差250m下って250m登って越中沢岳に登り返す必要があるし、ヌクイ谷をU字型に往復することになるので距離もかなり長くなる。この点、目の前に見えている尾根を使えば最短距離で木挽山に到達できるし、無駄な標高差を稼ぐ必要はなく所要時間を半減できるだろう。藪のリスクはあるが計画を変更してこの尾根を登ることにしよう。尾根の裏側には木挽山と思われる真っ白な姿が見えていた。
朝はまあまあの天気だったが天候は昨日の天気予報とは違ってその後は一面の曇り空で時々パラパラと雨粒が落ちてきていたので、板が打ち付けられた小屋の軒先を借りて休憩する。いつ本格的に雨が降ってくるか分からないので早めに行動したいところだが、ダムからここまでの道は予想外に細かなアップダウンが続き体力を搾り取られ、所要時間は4時間近くかかっているので休憩が必要だった。このルートは帰りの時に疲れ切った状態で歩き始めると途中で力尽きそうだ。黒部ダム湖の下流側を見るともやがかかったように霞んでおり、どうも北側から雨が降り出しているようだ。
ここを下ってヌクイ谷に向かう | テント場らしき台地から見たヌクイ谷 |
ヌクイ谷(翌日の快晴時に撮影) | ここを靴を脱いで渡渉した |
休憩を終えて無人の平ノ小屋を出発し、しばし五色ヶ原への登山道を歩く。ここも今までの湖岸の道同様、新緑のブナ林が素晴らしい。ヌクイ谷に最接近した箇所から急斜面を下って河原に下ると赤ペイントが目に入り、どうもテント場のようだった。渡渉可能な場所を探しながら石ゴロゴロの河原を左岸沿いに進んでいくとやがて岸が切り立って進めなくなってしまった。だいぶ高巻きすればその先も河原を進める可能性があるが、どのみちヌクイ谷を右岸に渡らないと尾根に取り付けないのだからとここで靴を脱いで渡渉することにした。右岸は非常に広くてしばらくは先に進めそうであった。川の流れが2分するところが水の勢いも比較的弱く水深もさほどでないので渡渉箇所に選び、靴を脱いで冷たい水を我慢して中間地点の石に上がって足が暖まるのを待ってから再び川に入って対岸に渡った。水中が見えず足の小指を石にぶつけて痛かった。水深や川幅は御山谷とほぼ同様で水深は膝上程度で水に入っている時間は10秒程度だった。
登りやすい場所を探しながら右岸を歩く | 右岸はスノーブリッジ手前に崖出現で進めない |
仕方なくここで靴を脱いで左岸に渡る | スノーブリッジで再び右岸へ(下流側を見た写真) |
基本的には1801m峰西側鞍部から落ちてくる谷を登ろうと考え、左手の斜面を見ながら広い雪渓が出てくるのを観察しながら上流へと登っていく。しかし下山時に判明したことだが、この谷は入口付近は地形が不明瞭で上がると谷地形がはっきりするので川から見上げたのでは入口が分からないのだった。見落としたことに気づかずにそのまま遡上していくと、スノーブリッジが川を覆っているのが見えたのだが、そのスノーブリッジとの間が崖で取り付くことができず、このまま左手の急斜面を登るか、それとも再び川を渡ってもっと上流に向かうか決断を迫られた。考えた結果、もう一度渡渉して雪が詰まった沢を探した方が結果的には楽に登れるだろうと判断し、再び靴を脱いで身を切るような冷たい水を我慢して左岸に渡った。再び右岸に渡る必要があるが、それはスノーブリッジで簡単に渡れるので心配はない。そのスノーブリッジは標高約1500m付近だった。
最初のスノーブリッジが現れてからは川沿いに残雪が見られるようになり、もう少し遡上すれば流れが雪の下に消えるのかもしれない。少し歩くと細いながら左手に雪渓が現れたので、おそらくこれが予定の谷だと思って登ることにした。ここで初めてGPSのスイッチを入れて現在の標高を確認すると標高は約1560mであり、予定の谷よりずっと上ではないか。地形図を見るとあまりはっきりした谷はないがこの先も適当な谷はないので、このままここを登ることにした。地形図ではそこそこの傾斜のようだが、今年もいろいろ変な山で急斜面は経験しているから大丈夫だろう。そのためのピッケルと12本爪アイゼンでもある。
登った雪渓の入口。細くて頼りない | しかし少し登るとずーっと続いているのが見えた |
雪渓に覆われた沢は入口は狭いものの登っていくと広く立派な沢になって一安心。うまくいけば稜線まで藪漕ぎ皆無で残雪歩きだけでいいかもしれない。けっこうな傾斜でまっすぐ登るのは足への負担が大きいのでジグザグに登っていく。登る分には傾斜はきついがまあまあ普通かなぁと思ったが、振り返るととんでもない傾斜で部分的には前を向いて下れるか微妙であった。下りでここを使うのもいいがヌクイ谷に下ってから渡渉を2回必要だし、最初の予定通り1801m峰西側鞍部まで進んで左の谷を下る方が良さそうだ。
振り返ると恐ろしいほどの急傾斜 | 対岸の夏道がある尾根が低くなっていく |
残雪に覆われた稜線に到着、幕営とする | 幕営場所を上から見る |
急な雪渓は少し右に曲がってなおも傾斜がきつくなっているので、薄い藪を突っ切って左手の雪渓に乗り換えると、こちらも急だが現状維持程度の斜度で登っている。雪渓は広くて水が流れる谷と言うよりは僅かに凹んだ谷地形のようだ。この広さなら稜線まで雪が続いている可能性が高く、足は疲れるが効率よくグングン高度を上げていく。やがて上空が開けてきて稜線が近づいた雰囲気になり、雪渓の傾斜が緩むと稜線に出た。思惑通りここまでずっと雪が続いて藪漕ぎ皆無でラッキーだったが、到着した直後に雨が本格的に降り出してしまった。時刻はまだ午後3時でもっと登って2033m峰くらいまでは行きたかったのだが、この雨では行動するとびしょ濡れになってしまうので行動は打ち切って、荷物を木の陰に置いて雨がかからないようにしてから大至急幕営準備にかかる。本当は周囲を良く確認して幕営に一番いい場所を選択して設営したいところだがそんな悠長なことは言っていられないので、目の前の僅かな雪の平坦地に設営した。あとでGPSの電源を入れて標高を確認すると約1960mだった。
テント設営が完了した頃には本降りになり、テントの中で水作りをしつつ昼寝となった。幸い雷が来ることはなく雨だけで済んだが、強弱を繰り返して夕方まで続いた。夜には上がったが上空は黒い雲に覆われたままで夏の夕立が終わったような青空が現れることはなかった。天気予報では明日日中になると寒気が遠ざかって天候が回復するとのことだが、朝になってもこんな状態だったらヤダなぁ。今はまだ雲が高くて後立山の2800m台の山も雲に突っ込んでいないが、明日はどうだろうか。残雪の稜線でガスに巻かれて先が見えないと少々危険である。夜中もテントを叩く雨の音が断続的に聞こえていた。
翌朝、3時半に起床して飯を食べ終わり、アタック装備で出発しようとしているとまたポツポツと降ってきたではないか。どうも夜より降りが強くなってきたようで、しかたなくゴアを着ての出発となった。まだ降り始めで周囲の樹木は濡れていないので藪に突っ込んでも濡れないだろうが、こんな状態が続くとすぐに藪もびしょ濡れになってしまうだろう。幸い、雨は小降りになってから止んでしまい、その後は昨日日中と同じ程度に時々パラパラ落ちてくるくらいになってくれたが、雲は昨日より下がって隣の五色ヶ原は完全にガスに没していた。
残雪をつなげながら登る | 後立山は雲の下 |
徐々に残雪が増える。奥が木挽山 | もうすぐ2033m峰。雪を求めて南北を迂回 |
稜線は完全に雪に覆われているわけではないが斑に残雪が点在し、それらをつなげればほとんど藪に突入しなくて済んだ。幕営地点の標高が残雪の下限らしく、僅かに登るだけでも残雪が増えていくのがわかる。稜線直上は藪が出てしまっているが南斜面か北斜面には残っているので、うまくそれらをつなげて藪帯突破は最小限にとどめる。もっとも、この付近は笹はなく細い灌木の藪が中心で、あまり密度も高くないので無雪期でも大きな苦労はなさそうだが。2033m峰付近になると残雪がつながり藪は雪の下になった。細長い山頂でどこが最高点だか不明だがシラビソに覆われていた。幕営場所から見えていた木挽山と思われたピークはここまで来れば間違いなく木挽山であった。完全に真っ白で藪の心配は皆無だった。
2033m峰てっぺん。シラビソに覆われ藪は薄い |
2033m峰から見た木挽山 右の尾根を登り真ん中の谷を下った |
鞍部へと下る | 鞍部付近のみ雪が消えた尾根を歩く |
鞍部から登りにかかる | 右手の広大な尾根を登る |
鞍部への下りは稜線東側に残った雪庇残骸でこれまた楽々クリア、鞍部に乗る前に雪が消えた尾根を少しだけ歩いたが発達したシラビソ樹林で下草や灌木はなく歩きやすかった。これが山頂まで続いているなら無雪期も楽勝だろう。鞍部からは左手の谷を登ろうかとも思ったが、地図を見ると木挽山北側に落ちている尾根の方が傾斜が緩いので右に迂回して広大な尾根に取り付いて登り始める。ここも一面の残雪で地面は全く見えず、どこでも好き勝手にルート取りできた。思ったよりも傾斜がきつくジグザグに登っていき、標高2220m付近で傾斜が緩んで平坦な台地が現れるがここが山頂渉猟に出てくる「まるで小屋があったかのような草付き」だろう。尾根はこの上に巨岩が聳えているので左の緩斜面を巻いて山頂に向かうことにする。
標高2220m付近の台地と登ってきた尾根 | 木挽山最高点 |
ハイマツに覆われた木挽山三角点に向かう | 雪が消えたところに踏跡がある |
木挽山三角点峰。南から見る | 木挽山三角点近くの花崗岩。山頂渉猟の写真どおり |
斜面を登りきると広い山頂の一角に到着、山頂には小ピークがいくつかあるが、三角点がある東端ピークではなく西に2つ並んだピークの南側が最高点のように見えた。そこに荷物を置いて三角点を往復する。三角点直下まで雪原が続き、ハイマツの海に突入するところに明瞭な踏跡があるのに驚いた。おかげでハイマツの激藪と格闘することもなく隙間を悠々と通過して待望の木挽山山頂に到着! そこで待っていた風景は山頂渉猟の写真と寸分違わぬ風景だった。山頂周囲のハイマツの海と残雪が嘘のような花崗岩が風化した白い砂地が広がり、妙な形の花崗岩のオブジェが三角点脇に立っていた。山頂渉猟の写真解説では「背景は越中沢岳」となっているが実際は2482m峰であった。むろん今は残雪に覆われて真っ白である。人工物は三角点以外はないかと思いきや、赤ペイントが吹き付けられた岩があったり、ハイマツの中にペットボトルとボロボロになった弁当のトレーが2つ転がっていた。後立山から烏帽子岳、野口五郎岳にかけての裏銀座、そして赤牛岳が大きい。その右は奥木挽山から2482m峰の真っ白な姿で、この分なら奥木挽山まで全く藪漕ぎはなさそうだ。おまけに天候は急激に回復しつつあり、黒雲に覆われていた後立山は完全に青空の下となり、立山はまだ雲の中だが空は明るくなりつつあった。雨ももう落ちてこない。
越中沢岳へつながる稜線へ向かう | 木挽山を振り返る |
場合によっては木挽山だけで満足してもいいかなと考えていたが、この天気と残雪状況だったら奥木挽山に行かない手はない。再びザックを背負って最終目的地へと向かう。鞍部へと下る途中で僅かに雪が消えた区間があったがここも大した藪ではなく難なく抜けて鞍部から広大な残雪の斜面を登り返す。稜線直上から北側では藪が出てしまっているが隙間が多いハイマツと低い灌木に薄い笹で雪が無くてもマシな藪だったが、標高が上がるに従ってハイマツの勢いが増して激藪となっていった。今は残雪帯が使えるからいいが、無雪期は地獄だろう。
稜線から見た越中沢岳方面 | 2482m直下から見た奥木挽山 |
越後沢岳への稜線に出るとまだまだ真っ白な越後沢岳から薬師岳への稜線が眼に飛び込んできた。薬師は雲に隠れて山頂は見えないのが残念だが、久しぶりにこの風景を見ただけでも満足だ。奥木挽山へは2482mと2470m峰を越えて2400m鞍部に下り、2470mまで登り返せば山頂だ。この稜線は直上と西側は雪が消えて立ったハイマツの激藪が出てしまっているので、残雪の稜線東側を延々と歩くことになる。たまにハイマツが切れて砂礫のオアシスが出現するが、行程全体から考えれば微々たるものだから残雪期以外にこの尾根を歩くのはたとえ武内さんでも相当苦労するだろう。
2470m峰を越える | 鞍部手前はハイマツの尾根を下る |
西側の方がハイマツが少ない | 再び残雪にとりつく |
2つのピークは東側から巻いて下りにかかるが、鞍部にかけては一部傾斜がきつくて巻くのはヤバそうなため、ハイマツの激藪を漕いで尾根上を下って鞍部に立った。尾根真上ではなく西側斜面の方がハイマツが少なくて歩きやすかった。
いよいよ奥木挽山 | 歩いてきた尾根を振り返る |
ハイマツに覆われた奥木挽山山頂 |
その先は山頂まで気持ちいい雪原が続き、山頂東側直下の残雪地帯まで到着、ハイマツにびっしりと覆われた3,4mの高まりに登ると奥木挽山山頂だった。人工物は全くなく一面のハイマツの中に花崗岩が点在する光景が広がる。白砂の木挽山山頂が見えており、比喩が悪いが10円ハゲのようであった。そこだけがハイマツが無いので遠くからもよく見えた。登ってきた尾根はうねりながら黒部湖へと落ちているのが見える。太陽の方向はまだ雲が懸かって直射日光はなく吹き付ける風は冷たいが山頂でしばし休憩。
木挽山へと向かう | 鞍部から2033m峰へ登り返す |
テント場までの雪が消えた箇所の藪 | テント場付近から見た1801m峰 |
雪が消え藪に突入、1850m付近から見た1801m峰 | 密な灌木と薄い笹が主体の藪 |
早めに左の斜面に入り残雪の谷に乗る | 雪は少なく部分的に消えるが藪はない |
ヌクイ谷が見えてきた | ヌクイ谷から下ってきた谷を見上げる |
下山はほぼ同じルートを戻るが、木挽山山頂からは右手の谷を一直線に下った。特に危険を感じる斜度ではなくここを登っても良かったな。テントを片づけて尾根を東に向けて下り始める。最初こそは残雪があって楽々進めたが、僅かに標高を下げただけで格段に雪が消えて一面灌木の藪に覆われた尾根になり、大ザックでは引っかかって歩きにくいことこの上ない。これだったら余分な渡渉を我慢しても登りで使った雪渓を下った方が良かっただろう。尾根が広くて藪で視界も制限され、正確に尾根上を辿っているのかはっきりしないが、どうにかこうにか尾根を外していないようで目の前に1801mが見えてきた。このまま藪尾根を行くのは骨が折れるので左の斜面を適当に下ってしまうことにした。ここを下れば自然と1770m鞍部から北東に落ちる谷に合流するはずで、谷には残雪があることを期待したい。無ければこの藪のままで苦労の連続だ。最初は今まで同様灌木が中心の藪で笹は少し混じる程度だったが、灌木は雪の重みで幹が寝ているので下りでも面倒だった。少し下って白い物が見えたときは心底ほっとした。雪渓上に出るとザック脇に付けていた銀マットが藪に絡め取られたようで紛失していた。やはり藪突破時はできるだけ荷物はザック内部に収納すべきだった。このまま雪の上を歩き続けられるかと思ったら断続的に地面が現れるが、水がない沢なので藪はなく歩きやすかった。最後は谷の地形が浅くなって下から見上げるとタダの残雪としか見えなくなった場所でヌクイ谷に出た。
小屋開け用物資、人員を運んできた船 |
行きと同じ場所で靴を脱いで渡渉し、これからの黒部ダムまでの長い歩きに備えてしばし休憩。昨日ここを歩いたときには暗雲たれ込める暗い昼間だったが、今日はいっぱいの青空で日差しが暑いくらいで入山を1日遅らせるべきだったと後悔。でも目的を達成できたからいいか。登山道に戻って平ノ小屋に到着すると槌音が響いており小屋あけの真っ最中だった。全部で10人近くいたのではなかろうか、眼下の船着き場には船が横付けされているので、船でダムからやってきたようだ。ダムからの登山道は昨日歩いて分かっているようにまだ一般登山者が通行できる道ではないので、小屋の営業開始は登山道の整備が終わってからだろうから小屋の営業開始は今月末くらいだろうか。五色ヶ原方面から突如として現れた大ザックの私にはビックリするのは当然で、いったいどこから来たのか聞かれて正直に答えた。さすがに行き先が木挽山ときいてさらに驚いていた。
これからダムまで4時間かかるので長居はできず、短い立ち話の後に出発。2時間強歩いて登山道上で休憩し、最後の難関の御山谷は上流側を偵察しても石づたいに飛べそうな場所はなく靴を脱いで渡渉、これで問題点は全てクリアした。タンボ沢にかかる橋にはザックを背負ったハイカー2人の姿があったが、もしかしたら御山谷の崩壊した橋を見て諦めて戻ってきたのだろうか。遊覧船乗り場手前にある吊り橋を渡る手前で汗くさいTシャツを脱いで濡れタオルで体を拭いて、着替え用のTシャツを着てから駅に向かった。駅はそこそこ人が多いが大型連休の時期とは比較にならず、10両編成ではなく4両?だった。
所要時間
6/13
7:45黒四ダムトローリーバス駅−−8:15ロッジくろよん−−9:05御山谷を渡渉−−10:13大きな雪渓が残る沢で休憩10:28−−11:09中ノ谷−−11:33平ノ渡−−11:37平ノ小屋12:09−−13:03ヌクイ谷を右岸へ渡渉−−13:37ヌクイ谷を左岸へ渡渉−−13:50
1561m地点で雪渓を登り始める−−14:38 稜線に出る(標高1960m。降雨のため幕営)
6/14
4:40幕営地点−−5:02
2033m峰−−5:08 1990m鞍部−−5:58木挽山三角点6:08−−6:11 2260m鞍部−−6:37越中沢岳への稜線−−6:55
2401m鞍部−−7:05奥木挽山7:20−−7:42越中沢岳への稜線を離れる−−7:53
2260m鞍部−−7:58木挽山最高点−−8:08 1990m鞍部−−8:15 2033m峰−−8:28幕営地点9:05−−9:28
稜線を離れて下る−−9:45ヌクイ谷河原−−10:25ヌクイ谷を左岸へ渡渉10:50−−11:10平ノ小屋11:15−−11:45中ノ谷11:49−−13:07休憩13:26−−14:05御山谷を渡渉14:19−−14:49ロッジくろよん−−15:20黒四ダムトローリーバス