南ア南部 井戸沢ノ頭、高山(烏帽子岳、前小河内岳、小河内岳、大日影山、板屋岳) 2006年09月09〜10日
先月の梅雨明け直後に四郎作ノ頭に登ったことで、南ア南部で日本山名事典に名前を記載された2000m峰のうち未踏は井戸沢ノ頭と高山だけになった。こうなれば早く片づけて宿題リストをきれいにしたいと思うのは当然で、チャンスがあったら最優先で登ろうと考えていた。ルートは小日影山のように小渋川から適当な尾根を詰めるのもいい手だが、夏の時期では小渋川を渡れるか分からないことと、ここ1ヶ月は仕事と病院で山に行けなくて体力トレーニングが必要こともあり、せっかく行くなら展望を楽しめる三伏峠経由のロングコースと決めた。初日に高山裏避難小屋まで入り、翌朝に高山まで往復して鳥倉まで下山するという強行スケジュールであるが、避難小屋泊まりなのでテントは不要で1.5kgは軽量化できるので大丈夫だろう。
井戸沢ノ頭と高山は登山道から近いし、標高から考えて南ア全般に見られるような深いシラビソ樹林で尾根上に酷い藪はないと推測されたので出発前にネットで登山記録がないか調査しなかったが、下山後に調べてみたらどちらの山も記録がなかった。井戸沢ノ頭なんか登山道から近いので1件くらいあるだろうと思っていたので拍子抜けだ。地形図記載の山ではないのも人気がない一因かもしれない。
病院で無罪判決を受けた週の週末に出かけることにしたが、予報では関東以外は全国的に秋雨前線の影響で天気が悪い。ただネットでの天気予報(国際気象海洋株式会社 http://www.imocwx.com/guid/gd0m_mjp.htm たぶん気象庁スパコンでのシミュレーション結果)では長野近辺は土日ともぽっかりと穴が空いたように晴れの区域が広がっており、この予報が当たれば南アはいい天気のはずだ。高山ならシラビソ樹林で藪はないだろうから多少の雨は我慢できると判断して出かけることに決定した。なにせ予報通り天気が良かったら下界にいたら絶対にがっかりするだろう。でも、今回の気圧配置は北に前線があって暖かく湿った南風が前線に吹き込むパターンなので、下界でそこそこの天気でもアルプスの稜線はガスの中で何も見えないだろうな。前回、椹島から塩川まで歩いた時は九州の南に台風があって関東は直接の影響はなかったのだが、台風の東を回って湿った風が吹き込み稜線はずっと濃いガスに覆われたままで何も見えないまま終わってしまった。
鳥倉は相変わらず遠く、道路崩壊区間の迂回路が完成して通行可能になった国道152号線で茅野→高遠→長谷→大鹿村と入ったが走行距離270kmで4時間かかった。もう夏山シーズンではないので駐車場には十分な空きがあり、ゲートに近い場所に車を止めて酒を飲みながらパッキングを済ませて寝た。夜に何台か車がやってきてテントを設営して寝に入っていた。
林道から見た奥茶臼山近辺 | 林道から見た主稜線 |
約5時間の睡眠で起床、5時半過ぎに出発。天候は雲は多めだが隙間から青空も見えている。置いていこうかとも思ったが麦わら帽子を持っていくことにする。雨対策で傘を持っていき、残雪期用に使っている防水性がよい登山靴を履いていくことにした。林道からは相変わらず奥茶臼山、丸山、除山から小日影山の尾根が見えている。本日歩く予定の小河内岳から大日影山の稜線も見えた。
登山道に入り豊口山鞍部へと登り、尾根を北に巻きながら三伏峠へと至る。途中の水場は1ヶ月前よりも細くなったように感じるが水補給には問題ないレベルであった。途中で粒の細かい雨が降ってきたが樹林の中なので直接当たることはなく、傘を取り出したのだがあまり必要はなかった。このまま悪くなるのか心配だったが逆に周囲が明るくなってきた。ラジオで天気予報を聞くと長野南部は晴れ時々曇り、降水確率20%とのことで、これなら雨の心配は無さそうだ。
塩川分岐 | 三伏峠小屋の旧小屋とテント場 |
三伏峠で休憩し、大多数の人が向かう塩見岳登山道と分かれて荒川方面に直進する。こちらもまともな登山道ではあるが、利用者数は塩見方面より格段に減るため、道の両側から草やハイマツが伸びて体に触れる区間もあり、朝の雨でそれらが濡れているためロングスパッツをつけた。なお、この時期はまだ気温が高いのでTシャツに半ズボン姿なのだった。案の定、すれ違ったのは2,3人だけで草の露はまあまあ払ってくれたが完璧というわけにはいかない。しかし天候は上向きで烏帽子岳に登っている途中に時々ガスが切れるようになり暑い日差しが差し込むようになった。
天気は急速に回復、青空も出てくる | 烏帽子岳目指して登る |
烏帽子岳山頂 | 烏帽子岳から見た塩見岳 |
烏帽子岳山頂は東海パルプが立てた山頂標柱があるのですぐにわかった。ガスは完全には晴れないので周囲は見えないが、時間が経過すれば期待できそうだ。腹が減ったので飯を食っていると沢登りにやってきたという男性が登ってきた。この界隈は長野側はやばいが静岡側の谷は全体的に穏やかだという。藪山に登るには沢登りも有効な手段で私も機会があればやってきたいところだ。夏なら涼しいし。
前小河内岳を目指す(中央) | 前小河内岳山頂 |
小河内岳の登り | 避難小屋が大きくなってくる |
小河内岳北側から見た荒川東岳と西小石岳 | 小河内岳避難小屋 |
小河内岳山頂 | 小河内岳から見た板屋岳と大日影山(見えない) |
次のピークである前小河内岳は前回登ったときはガスでどこが山頂なのか分からないまま、山頂を通り過ぎてやや下った崖っぷちで無線運用を行った記憶がある。今回もガスで先が見えないがGPSのおかげで山頂までの正確な距離が分かるので間違えることはなく、頭が赤い標石がある山頂に到着、ここは素通りして小河内岳に向かう。先ほどよりさらにガスが薄くなってチラチラと小河内岳が見え隠れするようになり、鞍部から登りにかかるとガスが晴れて山頂の避難小屋がはっきりと見えるようになった。やたらとでかいザックを背負った女性を追い越し、その先で連れの男性が休憩中だった。時間的に考えると今日のお泊まりは高山裏だろうか。ハイマツの海の中の登山道を登り切る直前に避難小屋との分岐があり、そこから僅かで小河内岳山頂だった。無人の山頂は東海パルプが立てた山頂標柱と三角点が待っていた。目の前には荒川岳が堂々と聳え、北に派生する西小石岳の尾根がよく見えた。ここでしばし休憩。先ほど追い越したの男性は避難小屋の方に歩いていったがここでお泊まりだろうか。
大日影山への取り付き | 途中はこんな樹林で藪はない |
大日影山山頂。KUMOは無くなっていた | 板屋岳鞍部から見た大日影山 |
この先はまとまった登りはないが細かいアップダウンの道が続き体力よりも精神力が消耗しそうだ。森林限界は小河内岳から先は無く樹林帯に入って展望が無くなるのが残念だが日差しが遮られて涼しいのは助かる。快晴ではないがかなり青空が広がり天気予報通りとなった。ピークを2つ越えて大日影山の巻き道になったところでGPSを取り出し、最短距離から空身で山頂を往復した。ところが最短かと思ったら少し北に寄っていて、稜線に出たら枝が横に張りだしたハイマツ地獄の尾根で前進に苦労した。ようやく最高地点に到達したのだが前回あったKUMOがどこにも見あたらない。まさかペンチマンに取られてしまったのだろうか。わざわざ登ったのはKUMOを見るためだったのに残念無念、帰りこそ最短コースで登山道に出た。踏跡はないがシラビソ樹林で藪はないから木の隙間を縫って上がればいい。
板屋岳山頂 | KUMOが生き残っていた |
大日影山を下ると砂礫で開けた板屋岳との間の鞍部に出る。いつの間にかガスが降りてきて周囲は見えなくなってしまい日差しもなく、風が吹くと寒いくらいだ。この先は南側はガレて稜線は危険らしく、登山道はほぼずっと北側を巻いている。板屋岳も真の山頂は通らずに僅かに巻いているが、その距離は10m程度なので藪をかき分けて山頂に登ると、ここのKUMOは残っていた。大日影山より先に無くなりそうなものだが、藪で目立たないから生き残れたのだろうか。
板屋岳南部から見た小日影山 | 板屋岳南部から見た高山 |
最後の休憩を済ませて小屋に向かうことにする。樹林帯が続くが時々右手のガレの縁を歩くようなコースに出ると展望が開け、大日影山までの壮絶なガレの絶壁と2570mピークを従えた小日影山が連なっているのが見えた。武内さんは私と違って大日影山から小日影山を往復したのだが、大日影山から2570mピークまでの間が絶壁の超危険地帯であり、エアリアマップでは危険地帯には丸印に危のマークが書かれているが、武内談によると小日影山への稜線は丸印に死だそうだ。小日影山までのたった1.3kmの距離を10年前の武内さんでさえ休憩を含めないで往復に4時間半近くかかっているのだから、凡人はこのルートはやめておいた方がいいだろう。
高山裏避難小屋 | 高山裏避難小屋入口 |
高山裏避難小屋内部 | 高山裏避難小屋の水場。標高差100mを下る。水量は豊富 |
ガレの脇で小屋まで1kmの標識を見て下り続けると、草付きのお花畑?の下に赤い屋根の高山裏避難小屋が見えた。本日の宿である。まさか閉まってるなんてことはないよなぁと思いつつドアの取っ手を横に引くと無事開いてくれた。ドアは2重になっており、無人の期間(9月1日から無人)は1階が開放されていた。トイレは外にあるので臭いはないが、改修直後らしく外壁の木材に塗ったコールタールの臭いが気になるところである。アタックザックにペットボトルと2リットルの折りたためるポリタンを入れて水場の案内に従って沢沿いに下っていったがいっこうに水場が出てこない。5分下ると枯れた沢沿いのテント場があるがまだ水音は聞こえず水場の案内標識は沢の下流を示しており、小屋から下ること10分でやっと源頭にありついた。水量は豊富で水汲みをしてから水浴びをしたが、あまりの水の冷たさにタオルを洗うことも苦労するほどだった。夏山と比べれば汗をかいた量はかなり少ないと思うが、濡れタオルで全身を拭いてずいぶんさっぱりできた。小屋への登り返しは15分かかったので、水源までの標高差は100mくらいだろう。もし荒川方面から縦走する場合、小屋の手前の登山道沿いに水場があるのでそこで汲んだ方が労力はかからないと思う。
あわよくば今日のうちに高山まで足を延ばそうと思っていたが、細々と休憩を挟んできたとはいえ1ヶ月ぶりの山行で体力の残りは少なく、本日の行動はここまでとしてマッタリすることに。南からの湿った風が入っている影響か気温は1ヶ月前よりも高く20℃近くあり、外でも日が当たっていればTシャツで大丈夫。部屋の隅、窓の近くで明るい場所に陣取ってラジオでも聞こうと思ったらAMが聞こえないではないか。外に出ると聞こえるのだからラジオの故障ではなく、おそらく小屋が鉄骨作りで筋交いも鉄の棒で、AM放送波の波長と比較して鉄骨間の間隔が狭くてシールドルームのようになってしまっているのだろうと推測した。しょうがないので天気予報はFM放送だな。TV音声は電波が弱すぎて聞こえなかった。
午後4時を過ぎて歯磨きしている最中に、小河内岳避難小屋に泊まるのかと思っていた大ザックのカップルのうち男性が先にやってきた。これで本日は3名のお泊まりかと思いきや、できれば明日は大聖寺平に荷物をデポして赤石を往復し小渋川まで下りたいとのことで、もっと距離を伸ばしたいらしい。車は小渋川沿いの林道ゲートに置いてあるので帰りは小渋川を下るそうだ。今日はどこからスタートしたのか聞くと三伏峠!とのことで驚異の遅さで、その実績を考えると明日はせいぜい荒川小屋止まりだろう。問題は天気で、小渋川の徒渉がどんなものなのか分からないので雨が来る前に歩きたいとのこと。予報では明日は晴れだが明後日がどうなるのか分からず、私も小渋川の徒渉はどれくらいの深さがあるのか知らないし。その後女性もやってきたが、結局は体力、時間、天気と相談し、荒川小屋で情報を仕入れてどうするか決めることとなった。大学生だと思うが、あまり日数を気にしている様子が無いのは羨ましかった。結局、彼らは少しでも距離を稼ごうと先に進んでいった。幕営なのでこの先の水場で水さえ確保すればどこでも寝られるから問題ないか。
その後はお客は来ることはなく、その夜は私の貸し切りとなった。ほどよく酒を飲んで寝たが、夜でも室内の気温は20℃近いままで暑くなって夜中に起き出し、シャツも脱いで寝袋の口を大きく開けて寝ることになった。これじゃ1ヶ月前の寒さが嘘のようだ。小用に夜間外に出ると満天の星空に満月で、荒川岳に雲が絡んでいるが快晴だった。
こんな感じのテント場が数カ所点在する | ここから登山道を外れる |
翌朝、4時半前に起きてろうそくで明かりをとりながら朝食を取り、外が充分明るくなってから出発した。時間がもったいないが、これは予想される昼なお暗きシラビソ樹林を歩くためである。アタックザックにゴア、シャツ、水だけ入れて出発する。小屋から緩やかに下る途中に何カ所かテント場が分散しており、僅かに盛り上がった小さな尾根で登山道と分かれて右に入る。
苔生したシラビソ樹林が続く | 帰りに通った尾根。こっちは倒木が少ない |
ここは県境のはずだが境界標識は全く見あたらず目印の類も皆無で歩く人はほとんどいないらしい。苔むした無数の倒木が散らばる深いシラビソ樹林で、なだらかな地形で獣道も分散するようで見あたらず周囲を見ながら尾根を外さないよう歩く。この段階では2553mピークが井戸沢ノ頭だと思っていたのでその東にある2590mピークに引き込まれないようなるべく西に進路を取るようにするが、急に傾斜が始まるところでも相変わらずだだっ広い斜面で正確な県境を辿るのは難しい。まあどこを歩こうにもこのまま上を目指せば井戸沢ノ頭に到着するはずなので、それまでの背の高いシラビソから矮小なシラビソ樹林に変貌し藪っぽくなった斜面を目印を取り付けつつ適当に登っていく。今のところ倒木はあまりでかいのが無いので鬱陶しいもののどうにか乗り越えられるが、これが長距離続くと足を上げる回数が多くなって疲労が早くなりそうだ。
2500m微小ピーク手前 | 鞍部から歩きやすいシラビソ樹林となる |
とにかく上を目指してシラビソ樹林をがむしゃらに登り続けると小ピークに出た。しかしまだ南に高いところがあるので珍しく草付きの小鞍部から再び登り始めると、今までのような矮小な密林や倒木帯が消え失せて背の高い歩きやすいシラビソの疎林になった。同時に視界が開けて周囲の地形が見えるようになり、振り返ると後方の尾根から西に顕著な尾根が延びており、高山に間違いない。地形図で見るよりももっと遠くから尾根が分岐しているように見えて現在位置に自信が持てなくなったが、GPSは井戸沢ノ頭山頂はまだ南だと告げているし、左に見えるのは2590mピークに間違いない。山頂までの残り距離400mというのは信じがたいが前方(南)に高いピークがあるのでそれが山頂に間違いないだろう。
明瞭な獣道がある | 2553mピーク直下 |
2553mピーク | 2553mピーク付近から見た井戸沢ノ頭 |
この先は非常に明瞭な獣道が付いているではないか。あまりにもはっきりしていて人間の登山道と言ってもいいくらいであったが、尾根を右に巻きはじめたので獣道を外して尾根を辿ったが、すぐにシラビソ幼木地帯に突っ込んで藪漕ぎになってしまった。なるほど、獣道はうまくできているものだと今回も感心させられた。幼木地帯が終わると獣道が右から合流、帰りは正確にこれを辿ろう。再び歩きやすいシラビソ樹林になり順調に高度を稼ぎピークに到着、今までの地形から考えれば2553mの井戸沢ノ頭に違いないが確認のためGPSを見るとなんと山頂は南に400mと出たではないか! 標高表示は2570mだが通常は±10の誤差は覚悟する必要があるが、今の状況だとシラビソの葉を通過した電波を受信するので伝搬遅延に差が生じて誤差も大きくなっているはずだ。しかし南に400mはおかしい。磁石で調べても南にはピークがないし、東に見えるピークが2590mピークに間違いないだろう。それに今年の苗場山の龍ノ峰以来、GPSの方向表示が目的地近くになると固まったままになることが発生しているので今回も方位表示がおかしい可能性もあり、GPSをマップモードに切り替えると山頂の方位は東と出たではないか! これで全て事情が飲み込めた。山名事典での井戸沢ノ頭とは2590mピークのことで、今いるのは2553mピークに違いない。なんてこった! 井戸沢ノ頭の位置が私が考えていたのと違っていたのだ。
事情が分かれば正確な山頂を踏むまでである。最初はここを山頂とごまかして報告しようかとも考えたが、たった400mの距離をさぼって南ア南部最後の山を片づけたことにするのはあまりにもすっきりしないし、武内さんなら井戸沢ノ頭に登っている可能性は高く、嘘を書いてもバレバレだろう。2530m鞍部まではシラビソ樹林が続き、明瞭な獣道が案内してくれ、稜線上にあったハイマツの藪は北側を巻いてくれた。さすが。鞍部の道は本当に登山道と言っても過言でないほどはっきりした道だった。登りにかかっても縦横にある獣道をつないで歩き易いところを選んで高度を上げていくと、シラビソ樹林の中でも右手が明るくなってきたので行ってみると立ち枯れたシラビソが多い草付きになっており、その先は崖であった。笊ヶ岳南側の布引山のガレのように大規模な崩壊地で、その縁で立ち枯れが目立って草付きになっていた。ガレなので見晴らしは良く、最高地点までもうちょっとだった。樹木がないガレの方が足下すっきりで歩きやすいのだが、ガレの縁まで傾斜が急で歩ける状態ではなかったので樹林帯をそのまま登り、傾斜が緩んだところでガレの縁に出ると間違いなく最高地点だった。GPSを見ても間違いなく山頂であった。
井戸沢ノ頭山頂 | 井戸沢ノ頭の目印(DJF作) |
井戸沢ノ頭から見た兎三山 | 井戸沢ノ頭から見た大沢丸山 |
何かしら目印があると予想していたが、目の前にあったのは龍ノ峰で見たのと同じピンクリボンで、マジックでDJFのサインが書き込まれていた。今年の8月に登ったようで私は1ヶ月遅れだ。そして武内さんの落書きがDJFの2日後に書かれているではないか。今年のお盆の時期、私が仕事でずっと出社している時にほとんど同時に2人とも登っていたのだ。あ〜、やっぱりちゃんと正確な山頂に登って良かった。ガレなので見晴らしは良く、谷を挟んだ反対側は荒川前岳、小赤石岳、赤石岳、百間平、大沢岳、丸山、奥茶臼山、前茶臼山、尾高山と長大な尾根が続き、遙か向こうには愛知、岐阜の山々が見えているが知識不足で同定できない。思った以上の好天で大展望を満喫しつつ休憩し、残る高山に向かった。
高山の尾根の下りはじめ | 倒木が鬱陶しい |
大倒木帯 | 倒木が消えると歩きやすい |
獣道 | はっきりとした獣道 |
2553mピークを下って2500m微小ピークで進路を左に降るのだが、深いシラビソ樹林で先の地形が全く見えないので疑心暗鬼で尾根がはっきりするまで進むしかない。最初は広い地形なので尾根に乗ったか全く分からないが高度は急激に下がらないのでどうやら成功のようだ。GPSを見ても高山はほぼ真西に表示され、歩く距離に従って順調に残り距離が減っていくので安心できた。あとは尾根を外さないよう注意しながら下ればいい。下ってみるとまっすぐ単純に歩けばいいわけではなく、2405mで尾根が広くなって方向が分からなくなるが磁石で方向を確認して左に進路を振ると正解だ。それまでは尾根がはっきりして割とおとなしく歩きやすいシラビソ樹林に獣道付きだったが、ここを境に緑色に苔むした大倒木帯に変貌し、障害物競走のハードルを越えるように足を高く上げて倒木を跨ぎ越えるので足が疲れた。帰りに獣道を正確に追ったら尾根のてっぺんではなくやや南側に下ったところに付けられており、倒木は皆無ではないが少なくて疲労も軽くて済んだ。その後も倒木は絶えないがまとまって尾根を塞いでいる区間はほとんどなくて、倒木の間を迂回すればよかった。倒木が無くなると再び獣道が復活し、できるだけそれを追いかけるようにした。相変わらず獣道は藪っぽいところや倒木が多いところは尾根てっぺんを避けて歩きやすいところを通っていて、尾根の障害物が無くなると尾根上に戻って無駄なく造成されていた。
もうすぐ高山山頂 | 本邦初公開。これが高山山頂 |
目印の代わりか? | 武内さんの残した目印 |
ここは全体的にかなり緩やかな尾根だが高山手前ではほとんど水平になり、僅かに登り返して再び水平になったところでGPSが山頂到着の表示を出すと三角点が目に入った。間違いなく高山山頂であり、これで三伏峠以南の南アルプス2000m峰は全て登り終わったことになるのだ! 山頂標識はあると予想していたのだが(少なくともDJFのピンクリボンはあると思っていた)存在せず、代わりに細引きの輪が枝に結びつけられているだけだった。尾根を歩いている途中で目印は一切見かけなかったが、まさか山頂にさえ無いとは。ちょっとだけ期待していた「中村さん」の赤布も無かった。でも写真撮影後、ふと目の前の木の枝に色あせた目印が付いているのに気づき見てみると、なんと武内さんの署名入りではないか。DJFはここまで足を延ばさなかったのだがさすが武内さんはちゃんと登っていたのだ。木綿製の布テープのようで、1ヶ月前に付けられたばかりなのにこれだけ古ぼけてみるのだから、あと数ヶ月で文字は消えてしまい、1年もすると劣化して土に戻ってしまいそうだ。これを目にできるのはこの秋までだろうか。
深いシラビソ樹林中で見晴らしも日差しもないが、気温はTシャツでも問題ないくらいで気持ちよく休憩できた。今の朝でこれだから日中は晴れたら暑いだろうな。下界は蒸し風呂ではないだろうか。帰りの時刻も気になるので長居せずに退散することにして、私にとって大きな節目となった山頂を後にした。帰りは写真を撮影しながら登っていったがあまりに暗い樹林なのでシャッター速度が1/5秒まで低下し、そのままでは手ぶれで絵にならないので木の幹にデジカメを添えて撮影した。
そのまま正直に登ると2500m微小ピークまで登って下ることになり総力がもったいないので巻けるような傾斜になってから2500m微小ピークを左から巻いて北に下る尾根に乗り移った。どうやら登りの時には少し東の尾根に取り付いたようだが今度は一番西側の正確な県境尾根に乗ったようで倒木はずっと少なく背の高いシラビソが繁茂して獣道もあり歩きやすかった。最後の平坦な尾根はどこも倒木がいっぱいで適当に歩くと縦走路に出て本日の核心部分が終了した。時間は3時間ほどだが、久しぶりに目印皆無、人跡未踏の尾根を満喫できた。
高山裏避難小屋のちょっと上から見た井戸沢ノ頭 | 高山裏避難小屋のちょっと上から見た高山 |
高山裏避難小屋のちょっと上から見た板屋岳 | 高山裏避難小屋のちょっと上から見た赤石岳 |
板屋岳〜大日影山間から見た小河内岳、塩見岳 | 板屋岳〜大日影山間から見た小河内岳、蝙蝠岳 |
大日影山北側から見た小日影山、2570m峰 | 大日影山北側から見た富士山 |
前小河内岳付近から見た伊那盆地 | 前小河内岳付近から見た烏帽子岳 |
前小河内岳付近から見た塩見岳 | 前小河内岳付近から見た大日影山、小日影山 |
烏帽子岳から見た二児山への稜線 | 烏帽子岳から見た三伏峠小屋 |
高山裏避難小屋でデポした荷物を回収、パッキングし直してテントなし、食料なしの軽い大ザックを背負って帰路につく。まだ9時前なのでガスも上がってきていないので好展望だが、たぶん小河内岳に到着する頃にはガスで見えなくなってしまうだろうな。昨日ガスの隙間から見えていた小日影山は全貌を表していた。大日影山、小日影山に挟まれた2570mは大日影山、小日影山よりもずっとピークらしいピークだが、あれに登るとなると危険地帯をくぐり抜けなくてはならないので、無名峰であったのはラッキーと言えよう。昨日と違って西風が適度に吹いて直射日光の下でも涼しくて助かった。腹が減ったので板屋岳で少々休憩して軽く飯を食い、それから1時間経過した小河内岳への登りの途中でまたもや休憩、ガスがかかりだした小河内岳の登りは風もあってTシャツでは寒いくらいで、山頂は展望もないので素通り、前小河内岳で休憩と昼飯とした。この頃になるとガスが消えて周囲が見えるようになり塩見岳も堂々の姿だった。烏帽子岳からは本谷山から二児山の尾根もよく見え、笹山付近の緑の笹原もはっきりと識別できた。
三伏峠小屋で休憩しながら最後の食事をして午後1時半くらいに出発、日曜のこの時間ともなると登ってくる人は少なくすれ違ったのは数人だったし、下山途中を追い越したのも数人だった。水場で顔と腕を洗ってさっぱりし、濡れタオルを首にかけたまま歩いていった。豊口山との鞍部で10人前後が休憩していたがこれから登るのか下るのか分からなかった。林道に出て最後の休憩をし、出発間際に下ってきた男性としゃべりながら下山した。この男性は茨城県結城市からやってきたとのことで、マイクロバスで団体様の一員だそうだ。同じメンバーで山登りだけでなく観光もマイクロバスでお出かけするとのことで、定年を過ぎて自由を謳歌しているようだ。それでも土曜日に出発して三伏峠小屋に宿泊、今日塩見岳を往復してそのまま下山だから頑張っている部類だろう。塩見は大展望を楽しめたと喜んでいた。おそらく私が高山からの帰りの頃だろうな。話していると疲れを感じることもなくゲートに到着、ゲート前には茨城軍団のマイクロバスが待機しており次々に降りてくるメンバーを収容し、全員揃ったところで先に下っていった。ここから茨城までのお帰りは、松川ICから岡谷JCTで長野道に入り、更埴JCTで上信越道に入り、高崎JCTで北関東道に入って現在の終点である伊勢崎ICで一般道に降りて国道50号線をひたすら東進だろう。日付が変わる前に到着するかどうかかな。
こちらも帰り支度をしながらお隣の車の主(ではなく他のメンバーが鍵を持っているため車に入れなかった人)と話をした。こちらは静岡の藤枝から来たとのことで、稜線上は同じ静岡県内とはいえまっすぐの道はないのでどこから入るにも遠い。ルートとしては東名から名古屋環状で中央道の方がヒョー越経由より距離はあっても1時間くらい短縮できるそうだ。こちらはメンバーが全員揃うまで時間がかかり、私の方が先に出発した。帰りがけにいつものように赤石荘で入浴しているとにわか雨がやってきた。露天風呂なので雨がシャワー代わりか。ま、浴槽だけは屋根があるので雨に打たれないが。
こうして今年最後の夏山(というか今年たった2回だが)が終わった。難関も混じった南ア南部2000m峰を全て登り終わり、これからこの界隈は目標達成のために登るのではなく純粋に山を楽しむために登ることになるだろう。それとも東京からアプローチが遠くて足が遠のいてしまうかなぁ。でも深南部と白峰南嶺の残りがあるからまだまだ来る機会もあるだろう。
所要時間
鳥倉ゲート−(0:38)−鳥倉登山口−(0:56)−豊口山鞍部(休憩)−(0:33)−水場(休憩)−(0:20)−塩川分岐−(0:22)−三伏峠(休憩)−(0:39)−9:44烏帽子岳(休憩)−(0:37)−10:44前小河内岳−(0:31)−小河内岳(休憩)−(0:57)−大日影山(山頂往復)−(0:10)−鞍部(休憩)−(0:29)−板屋岳(休憩)−(0:40)−高山裏避難小屋
高山裏避難小屋−(0:54)−井戸沢ノ頭(休憩)−(0:14)−2553mピーク−(0:06)−2500m微小ピーク−(0:25)−高山(休憩)−(0:57)−登山道−(0:04)−高山裏避難小屋(休憩)−(0:54)−板屋岳(休憩)−(0:26)−大日影山直下−(0:39)−小河内岳手前(休憩)−(0:29)−小河内岳−(0:32)−前小河内岳(休憩)−(0:30)−烏帽子岳−(0:29)−三伏峠(休憩)−(0:24)−水場(休憩)−(0:22)−豊口山鞍部−(0:28)−鳥倉登山口(休憩)−(0:39)−鳥倉ゲート