南ア南部 丸山、木樽山、立俣山 2005年11月8〜10日

 


 南ア南部前鋭鋒で登山道の無い山はいくつもあるが、その中でも丸山、木樽山、立俣山はほとんど注目されることのない不遇な山ではなかろうか。これらの山の起点となる大沢岳でさえ赤石岳と聖岳の中間にあり、南ア南部の登山基地となる椹島から最も遠いため数が多いとは言えず、その枝尾根にある3山はずっと登る人は少ない、というか登ったという話を聞いたことがない。ネットで検索しても登山記録は一件も発見できず、堂々の武内級の山と言え、情報源は例のごとく山頂渉猟だけである。武内さんが登ったかどうかは不明である。南アの2000m峰で丸山という名前が付いた山は3山あり、荒川東岳東部の3000m峰、三峰川源流部の丸山、そして今回の丸山で、3000mの丸山は登山道があって簡単に登れるが他の2山は枝尾根上で登山道もない。丸山は日本全国たくさんあるが、ここまで顧みられることがない丸山はこの2山くらいかもしれない。

 昨年、三峰川丸山に登って以降、大沢丸山はずっと気になっていた。道がないので登るとしたら藪が枯れた秋か残雪期が最適であったが、残雪期は他の山を優先して逃してしまい、もう秋真っ盛りの時期になったので実行することにした。どう登るかがまた問題で、山頂渉猟では遠山林道を歩いて往復している。ただし、著者が登ったのは10年も前で、はたして今でも林道は通行できるのかまったく分からない。もしかしたら自転車を使って楽できないかと路面状況をネットで調べてみたが、なんとこれまた1件も発見できなかった。最悪、廃林道で道路が崩落して歩いてでも通行不能の可能性もある。もう一つは奥茶臼山から稜線を歩くもので、奥茶臼山までは登山道があるので労力削減ができるのが利点だが、ほとんど稜線を歩くので水を得られないのが難点だ。また、稜線の藪の状態も不明で、もし激藪だったら往復するのも大変だろう。どっちもどっちだが1ヶ月のブランクで水を担いで大ザックは無理そうなので林道経由とした。林道の状況が不明なのでとにかく行ってみるしかなく出たとこ勝負であるが、最新情報が皆無なのだからしょうがない。

 もう11月上旬を過ぎて山は下界の真冬と変わらないので、装備は冬装備を持っていく必要がある。シュラフは重い厳冬期用、ガスボンベも1本余計に持っていき、防寒具として新調したダウンジャケット他を詰め込むので70リットルザックがいっぱいになりそうだ。ただ、あまり汗をかかないので体力消耗は最小限に抑えられるだろうし、今回は林道歩きがメインで稜線への往復はアタックザックで構わないので大ザックを背負って藪漕ぎしなくて済むのは助かる。また、林道途中に多数の沢が流れているので水を担ぐ必要もない。そのような利点もあり、1ヶ月ぶりの山でもどうにかなるだろう。

 天気図を見る限りは明日から冬型になって太平洋側はいい天気のはずだが、なぜか飯田の習慣予報は今週はずっとくずつくマークの連続であった。よほど冬型が強くて寒気が南下するのだろうか? しかしインターネットのメッシュ予報では最初は少々悪かったが半日後には火曜日お昼過ぎに少し雲が出るがその後晴れる方に好転したため決行を決めた。一応、この気圧配置なら長野南部は天気がいいはずであろう。

シラビソ峠にある施錠されていないゲート 峠から1.2kmにある施錠されたゲート

 

 会社を午後半休していろいろと準備をして出発、諏訪ICで降りて国道を南下、大鹿村を過ぎて旧上村(今は飯田市に合併)に入ると雨が落ちてきたが、天気予報だと明日は大丈夫のはずなのでそのまま走る。久しぶりにシラビソ峠の文字を見て左に入り、舗装された道を登り切ったところが峠で、平日の夜だから車は1台もいない。以前はなかったゲートがいきなりあったが施錠されていないので針金の輪を外して林道に入る。この林道はどこまで車で入れるのか全く分からないし、路面状況によってはここまで戻って歩いた方がいい場合も考えられるのでトリップメータをリセットして走り出した。路面は車が利用する形跡があるが落石が落ちており、何回か車から降りて手でどかして進んだくらいだ。まさか帰りに落石で閉じこめられるなんてことはないよなぁ。峠から1.2kmで施錠されたゲートがあり一般車はここまでである。17km近い林道歩きのうち省略できたのが1.2kmでは悲しいものがあるがしょうがない。酒を飲みながらパッキングを済ませて寝た。なお、駐車余地はゲートの直ぐ脇と20mくらい戻った場所の2カ所である。どちらも落石の心配はない。

林道から見た丸山、荒川岳(前岳)

2つ目の造林小屋と林道

 翌日は充分明るくなった6時過ぎに出発、ゲートはしっかりと施錠されているが、右手の高まりにはバイクか自転車が乗り越えた形跡があり、二輪車ならゲート脇から簡単に出入りできるので今後挑戦する人はバイクを使うと楽できるだろう。正面には大沢岳が立ちはだかり、左手にはその名の通り丸い頭の丸山、奥には少し白くなった荒川前岳が見えている。丸山は近いが林道は延々と等高線に沿って巻いているから遠いんだよなぁ。立俣山も近いが谷の反対側なので丸山より遠く、今日のうちに登るのは無理だろう。もし林道が終点近くまでバイクで入れれば別であるが。右手には光岳から中ノ尾根山が見えているが、数日後はあそこを歩いているだろうか。

 林道は最初から廃林道かと思いきや、普通車でも充分走行可能な立派な林道である。下に造林小屋が見えてあんなところまで下って帰りに登り返すのを考えるとげっそりしてしまう。MP3プレーヤで音楽を聞きなが歩いて気を紛らわせる。1つ目の造林小屋はほとんど廃墟で、その直ぐ下に「登山口50分」の案内があった。あまり深く考えなかったが、買ったばかりの地形図では大沢岳登山道はここから沢に下るよう道が書いてあったので、以前はここが登山口だったらしい。しかし橋の崩落か何かで取り付き点が変わったので案内標識を付けたのだろう。

大沢岳登山口の標識

大沢岳登山口
廃バス。避難小屋として利用可能 こんな林道崩壊箇所が多数ある

 

 林道を下り終わると今度は緩やかに登って2つ目の造林小屋群に到着、なぜか巨大なコンクリート製アンカーがあった。この下で林道が左カーブするところが今の大沢岳登山口であり、この先は林道崩落のため歩行者も通行禁止の看板があるが、こっちは丸山に登らなくてはならないから無視して歩く。ここまでは普通車で走れる道が続いており、まだ少しの間は車でも走行可能、奥には避難小屋として使えそうな廃バスが放置してあった(施錠なし)。しかし、すぐに法面が崩れて車はもちろんバイクも自転車も通れない場所が出てきて、それ以降も多数箇所で法面崩落が起きていて、最初は自転車でも持っていこうかと考えていたが全く無駄なことだとわかった。昔の路面を歩けるのは全体の2/3程度で、あとは石の上を歩いたり、落石の押し出しの上を高巻きしたりと林道歩きとは思えない変化を楽しめたが、下手をすると落石共々谷へ一直線の場所もあり気を抜けず、帰りもこれを歩くのか!と思わずにはいられない。結局は嫌気がさして帰りは大沢岳登山道を利用して崩壊した林道は全部バイパスしたが、それで正解だったと思う。

山頂渉猟著者が利用したと思われる造林小屋 中俣沢右俣の右にある沢

 

 崖崩れが激しい廃林道を進むと、地形図にも建物マークが書いてある山頂渉猟の著者が泊まった小屋が現れた。こいつは林道が廃道化した後に造られたようで道の真ん中にプレハブ小屋が置いてあり、一部ガラスが割れていたが今でも使用可能であるが、今回は初日にできるだけ林道歩きをやってしまいたいのでここには泊まらず先を急ぐ。石が散乱して歩きにくい廃林道を歩いて中俣沢右俣に至り、荷物をデポしてアタックザックで丸山と木樽山を往復することにした。天気は良く快晴だが、稜線はシラビソ樹林で山頂は日当たりがないと思われたので、アタックザックには新調したばかりのユニクロ製ダウンジャケットを突っ込んだ。私のアタックザックは15リットルくらいしかないのでかさばる物は入らないが、ダウンジャケットはつぶれるのでどうにか入った。飯と水も入れる。

沢から離れ植林帯を登る 尾根に乗ると南アらしいシラビソ樹林

 

 ルートは山頂渉猟と同じで右俣のすぐ右の小さな沢を遡って左の尾根に取り付こう。林道からこの尾根はよく見えて、尾根の部分だけ背の高いシラビソが茂っているようで白い幹が見えている。ここには踏跡があるはずだが最初の沢から踏跡がなく10年の間に消えてしまったらしいが、目的の尾根ははっきりしているので適当に沢を上がって左の斜面に取り付けばいいだろう。最初は小さな沢も少し上がるとはっきりした沢地形になり、水量は少ないので右岸、左岸を渡り返しながら標高を上げる。危険個所はなくかなり上まで遡れそうだが、藪山屋の習性でできるだけ早く尾根に乗らないと落ち着かないので左手の尾根へ取り付けそうな場所を探しながら歩いた。尾根の最初はあまりにも急で取り付くことはできないが、少し上がると唐松植林帯が始まり、その作業等跡なのか獣道なのかわからないが巻くように尾根に取り付くルートがあったので尾根に乗り移ろうとするが尾根は急で登れず、猛烈な傾斜の植林帯をよじ登る。こりゃ下りも苦労しそうだなぁ。やがて左手の尾根頂稜にシラビソが出てきたところで傾斜が緩み、いよいよ尾根に突き上げる。尾根に出ると左右の谷とも唐松植林帯だが稜線だけシラビソ自然林が残っており、藪もなくとても気持ちのいい尾根だった。著者は植林帯を登ったようだがこの尾根の方が登りやすそうなのでこのまま進むことにする。鹿の糞がおびただしい。

尾根の様子1 尾根の様子2
1カ所だけあった青いひも 放置されたワイアーロープ

 

 この尾根は南アらしい深いシラビソ樹林で下草もなく非常に歩きやすい。はっきりした尾根なので下りで迷うことはなさそうだが念のために目印を付けながら登っていく。下草がないので踏跡があるか不明だが、苔むした切り株があったり鋸で切られた平らな切り口の枝があったりするので、以前に人の手が入ったのは違いない。ただ、新しい目印は皆無で忘れ去られたように2個だけ目印がぽつんとあっただけだった。山頂渉猟の記述のように上部になると笹が出てくるかと心配したが、上部まで深いシラビソが続き、ちょっとだけ幼木地帯があったがほぼ藪は皆無のまま主稜線に突き上げて行く。途中の1カ所だけ古い伐採地が左斜面にあって視界が開け、奥茶臼山から木樽山にかけての稜線が見えた。ここから見ると両者はかなり近く、奥茶臼山から登った方が楽だったかなぁなどと考える。放置されたワイアーロープもあり、往年の山のにぎわいを感じさせる。

2250m峰で稜線に出る 丸山北側鞍部
丸山への尾根の様子1 丸山への尾根の様子2 獣道がある

 

 この尾根の最後はなだらかな斜面なので、下山時は目印無しで目的の尾根に乗るのは難しいだろう。今までと変わらずシラビソ樹林を登り切ると丸山の一つ北側の2250mmピークに飛び出した。目印があるかと期待したが全くないが、どうやら藪もないようである。ま、どこまでこれが続くのか分からないが。期待半分不安半分で丸山に向けて歩き出す。最初は丸山北部の鞍部に向けて下るが、稜線はこれまで同様深いシラビソ樹林ではっきりした獣道があり、心配していた藪は皆無であった。三峰川の丸山で悩まされたような倒木もなくこのまま丸山まで行けるといいのだが。その心配も不要なほど、藪のないシラビソ樹林が続き、ちょっと藪っぽいところは獣道が左右に巻いているのでそれを利用させてもらう。これは人間が付けた踏跡ではないかと思えるようなはっきりした獣道で、動物が付けた道はなかなか理にかなっており歩きやすい。秋に独特な雄鹿の求愛の悲しげな鳴き声がたまに聞こえているが、この獣道は鹿道であろうか。全く目印がないので人間が作った道では無かろう。そもそもこんな所に登る人間は滅多にいるはず無いが。

本邦初公開? 丸山山頂 丸山の山頂標識。静岡大ワンゲル凄い!

 

 ややきつい傾斜を登り切って傾斜が緩むと平らな山頂に到着、やっぱりシラビソ樹林で視界はなかった。赤布と静岡大の新しそうな木製標識があるだけで、超マイナーな様子は期待通りである。三角点の存在が山頂である証拠だ。三峰川丸山と違って発達したシラビソ樹林なのでジャングル状態ではなく、隙間から日差しがこぼれていた。朝方は快晴だったが寒気が入ってきたのかやや雲が増えてきて風も出てきたので少し東側で風を避けながら無線をかねて休憩した。ここは既に武内さんが登ったかどうか知らないが、KUMOが似合う山であることには違いない。いったい年間で山頂を踏む人間が何人いるだろうか? そして私の知り合いで登る人が出てくるだろうか。こんなところまで登っていれば南アルプスの主と称しても問題ないかもしれない。この辺りは沼津カモシカの領域から外れているだろうか。いろんなことを考えるが、私の記事がネット上で唯一の丸山登山記録になるのは間違いないだろうな。それも数年間は唯一のままだろう。

  12:00を過ぎて休憩を終わりにして木樽山に向かう。1ヶ月ぶりの山歩きなので思ったより体力の消耗が激しく、木樽山を往復して林道に戻る時間が何時になるのか予想ができない。ただ、今の疲労度では今日のうちに大沢岳登山道と交差する地点まで行くのは不可能で、場合によってはデポ地点でそのまま幕営となるかもしれない。ま、テントだから水場があればどこでも泊まれるので、林道到着時間を見て考えればいい。

2250mピーク以降もこんな尾根が続いて歩きやすい まだ木樽山は遠い

 

 登り付いた2250mピークまで戻り、北側の稜線に足を踏み入れると今まで同様おとなしいシラビソ樹林が続いて歩きやすいのは助かった。相変わらず目印はないが獣道が案内してくれる。尾根右手には2カ所ほど鹿のヌタ場と思われる水たまりがあったが鹿の姿は見えなかった。

岩の東側を巻く 次の小ピークは西(この写真では右)を巻く

 

 木樽山南東部の2250mピークは上部に岩が見えていてビクビクもので上がっていったが東側を簡単に巻くことができたので岩によじ登る必要は無かった。巻き道には黄色いテープが残っていたので、この人も同じルートを歩いたらしい。次の小ピークは鋭い岩峰で右手は絶壁、先が見えないが切れ落ちていそうだったので左手のシラビソ幼木の藪に突っ込んで僅かに巻いて鞍部に降り立ち振り返ると、稜線上は案の定切り立って下れなかった。ここの藪が一番藪らしかったが距離としては20m程度だろうか。かなり急なので登りでは幼木の中に頭を突っ込むように進んだので、藪が濡れていたらイヤな場所だ。

再びおとなしいシラビソ樹林になる 木樽山山頂

 

 この岩を過ぎると再びおとなしいシラビソ樹林になり淡々と尾根を登っていけば良かった。藪はいいのだが天気がだんだん怪しくなり空が暗くなってきたのが気がかりだ。尾根が広がると山頂は近く、傾斜が緩むと山頂の一角に到着、しかしGPSの表示はもう少し先を示しているので緩やかに登ると、僅かに高まって北側の視界が開けた場所に出た。ここが山頂でよかろう。エアリアマップにも記載されていないピークなので標識はないが、ピンクと赤のテープが残り、立ち枯れした木の亀裂には紙?が挟まれていた。北側だけ視界が開け、懐かしの小日影山の尾根が見えていたが、増えてきた雲の高さが低くなって2600m以上の山は見えなかった。こりゃ、遅くなるとここまで雲が降りてくるだろうか。気温は丸山で0度だったが、今はマイナス4度まで低下していて、もし雲に入ったらエビのしっぽができるだろう。

 寒いが疲労がひどいので、地面に断熱シートを敷いて防寒着、ゴアを着て地面にひっくり返って休憩した。時々日差しが出てきて、このまま天気が悪化するのか持ち直すのか予想が付かない。林道で荷物をデポした時はドピーカンでこんな天気になるとは予想できなかったのでザックカバーをかけてこなかったので、もし天気が悪化して雪になったら荷物が濡れてしまう。体力の関係で急ぐとまではいかないが、あまりのんびりもできない。ひっくり返ったまま無線をやり、下山を開始した。

所々に残っていた黄色の目印

 山頂で見かけた黄色いテープは、登りでは気づかなかったが丸山までの間に点々と残っていた。ま、この尾根は細いから外す心配は無く、目印を付ける必要もないので数が少ないのだろう。私は全く目印は付けなかった。とうとう雪が舞い始めたが大降りすることはなくチラチラ舞っただけで終わってくれた。細かいアップダウンを越えて2250m峰に到着、体力が続かずここでも休憩、目印を慎重に探しながら登ってきたルートを逆に辿った。下りは体力消耗が少ないので順調に進み、標高が下がるに従って気温が上昇しTシャツでも問題ない程度になるし、心配だった天候は確実に雲が減ってきて日差しが出るようになり、上空の気圧の谷は通過したらしい。シラビソ樹林が終わると尾根が急すぎて下れなくなり、左の唐松植林帯を下り、沢に降りて林道に戻った。

 さあ、もう午後4時近く、あと1時間もすれば暗くなってしまうので、絶対に大沢岳登山口まで行くのは無理である。沢が流れているのでここで幕営してもいいが、これまでも林道脇は頻繁に小さな沢が出てくるので明るいうちに歩けるところまで歩いて、水場の近くで落石の心配がない場所まで距離を稼いで幕営した方が翌日の体力をセーブできるので、行けるところまで行ってみることにした。何せ再びなだらかな林道歩きなので、今の体力でも大ザックを背負って歩けるだろう。

 もう暗くなるまで時間との戦いなのでのんびりしていられない。歩き出して10分程度で水場があったがまだ時間は大丈夫とパス、歩き続けると造林小屋が出てくるがここは水場がないのでパス、そして4時半くらいで小さな沢が現れ、落石も無く路面が苔に覆われ幕営に最適だったのでそこに決定した。早くしないと暗くなってしまうので急いでテントを設営し、水を汲んで中に入ってローソクをつけて暖房兼照明とする。ローソクなんて古典的なツールに思えるかもしれないが、冬場ではささやかだが確実な暖房になるし、ヘッドライトと違って電池切れを気にせずに使えるし、ついでに使い切ればゴミも出ず軽いのもいい。唯一、火事の危険だけあるが、注意すれば大丈夫だろう。歯を磨いて酒を飲みながらつまみを食べ、明日のためにゆっくりと休養だ。風はほとんどなく標高約1600mなので稜線よりも気温は高いはずで、厳冬期用ダウンシュラフなら寒くはないだろう。重いのを担いできたので活躍してもらわないと。実際にはほんのちょっとだけ寒かったがまあまあ快適だった。1ヶ月前の表銀座は寒かったが、それと比較すれば天国だった。

 この時期の朝は6時過ぎにならないと明るくならないので起床は5時で充分だ。崩壊した林道を歩くには足下がよく見える明るさでないと危険だし。腕時計のアラームで目覚めてテントから頭を出すとまだ真っ暗で満天の星空であった。1時間後に夜明けが来るのか不安になるくらいの星空だったが、ローソクをつけて朝飯の準備をする。煮炊きにガスを使うし飯を食えば体の中から暖まり、防寒着を脱いでテントの中を撤収、外に出るとかなり明るくなっていた。外の気温は0度で予想以上の暖かさだ。このまま今日も暖かいと助かる。一晩お世話になった場所に感謝して出発だ。

法面崩壊箇所は続く 迂回する獣道もある

 

 まだまだ廃林道は続き、法面や谷から押し出した岩石、土砂の乗り越えが多い。木が巻き込まれた場所が最悪で、高巻きするにもかなり登らないといけないし、下部が絶壁だと下を巻くこともできない。大体は獣道に従ったが、崖っぷちだけは恐ろしくて歩けないので石を乗り越えて高巻きした。深ヶ沢左俣手前の林道は完全に埋もれて高巻きすらできなかったが、護岸の下部を歩くことができたので助かった。この林道は道路がそっくり崩落した場所はなく、路面が岩石で埋もれた場所ばかりだったのでまだマシだった。もし路面ごと崩落していたら、相当高巻きしないとパスできなかっただろう。ただし、年々崩壊が進むはずだから、数年後はどうなっているか保証はできない。そうなったら奥茶臼山から稜線を往復かな。

昨日登った木樽山と手前の岩峰 大沢岳登山道。文字が消えた標識しかない

 

 深ヶ沢左俣を過ぎると安心できるかと思いきや、まだ崩壊場所は続く。やっぱこれじゃ帰りは林道歩きはやだなぁ。標高差が無駄になるが大沢岳登山道を使った方がいいだろうと決断する。相変わらずの崩壊箇所乗り越え、河原のような落石散乱場所を通過して尾根の先端に近づくとやっと崩壊が無くなって路面が黄色い唐松の落葉に覆われ、尾根先端で登山道と交差した。登山道にはでかでかと案内標識があるものとばかり思っていたが、今では歩く人も少ないのか文字がかすれて判読不能な標識があるだけだったのは意外だ。やはり今は椹島がベースになってしまい、シラビソ峠経由のルートはほとんど使われていないのだろう。せめて林道が使えれば自転車を利用して時間を稼いで利用価値が高まっただろうに。

大沢を渡る橋 ここから斜面に取り付く

 

 ここで荷物をデポしてアタックザックで立俣山を往復することにする。昨日同様防寒具と水、食料を持って出発、立俣山は立ちはだかるように聳えて目の前だが、登ろうとしている尾根の急なこと! 本当に登れるのか心配になってしまう。この先の林道も崩壊が進んでいるがヤバい所はなく、獣道を辿って淡々と歩ける。大沢を立派な橋で渡れば尾根への取り付き点で、林道はさらに左に続いているが、こっちは右に向けて登らなければならないので林道とはおさらばだ。大沢で水を汲んでいよいよ斜面に取り付く。

矮小な落葉樹林の急斜面を登る

 橋の下流側から獣道が続いているので入ってみると等高線に沿って巻くように進んでいるが、どのみち上に向かっていれば目的の尾根に出るので猛烈な急斜面を登ることにした。この付近は落葉樹の矮小な灌木帯で、隙間が多く問題なく歩けるが足下が不安定な小石でズルズル滑りながら登っていく。どうやら左手が尾根本体のようだがあまりにも急傾斜で取り付くことができず、少しでも傾斜が緩いところを狙ってジグザグに登っていく。藪が少ないのはいいが木の間隔が広く、この傾斜では足が滑ったら無雪期でも止まらないだろうから矮小な木を掴んだり根を掴んだりしながら慎重によじ登る。こりゃピッケルが欲しいぞ。それにここを下れるかどうか自信がない。下りは別ルートを考えた方がいいだろうか。

どうにか尾根に乗る

超急斜面が終わるとおとなしいシラビソの尾根になる

 

 昨日の尾根と同じように尾根上にシラビソが出てきたところでどうにか左に寄って尾根に乗ると、見た目よりも傾斜が緩んでどうにかこのまま尾根を巡れそうだ。下りはここを下れるところまで下ってから右か左に逃げるべきか。念のため目印を付ける。あとはひたすらこの小尾根を登るわけだが、尾根になったからといって安心していると、上部では再びとんでもない傾斜が出てきて、滑落に注意しながら慎重に登った。藪がないこんな状態よりも滑落の心配がない密藪の方がいいかもしれない。そこを過ぎるとやっと傾斜が緩んでおとなしいシラビソ樹林のまともな尾根になり、安心して歩けるようになった。たぶん標高1600mくらいであろう。山頂渉猟の著者もここをよじ登ったのであろうか。尾根に乗っても目印は皆無、登りでは単純な尾根のように見えるが、下りになると微妙な尾根分岐で迷うことが多いので目印は頻繁に付けながら登っていく。下草のないシラビソ樹林で獣道らしき筋があちこちに見られる。

唯一の幼木帯も短距離でおしまい ここは見た目よりも隙間多く問題なし

 

 一部シラビソの幼木が出てきたがそれこそ10mくらいで終わってくれた。ただ、帰りはルートがわかりにくいので藪の入口に目印を付ける。そこから少し上がると傾斜が緩んで肩状になり、その上部で樹林が薄くなり日当たりがある場所が出てきたので休憩とした。GPSで調べると標高1875m付近で、地形図では等高線の間隔が広くなったちょっと上部らしい。樹林の隙間を通して左手にはまだまだ高いところに稜線らしきものが見えているので先は長い。

ダケカンバの混じった矮小なシラビソ帯(尾根真上) 尾根右側の古い切り株。こっちが歩きやすい

 

 ここを境界にして、今までの発達したシラビソ樹林から細いシラビソやダケカンバの混合林に変化した。落葉したダケカンバが混じるので明るくなるが木が細く密度が高いので藪っぽく感じられ、隙間を縫うように登っていく。苔むした切り株があるのでどうやら以前にシラビソ樹林を伐採した現場らしく、笊ケ岳に所の沢から登ったときに所の沢山手前にあった古い伐採現場に似ている。おそらく植林せずに放置し、自然に生えてきたらこうなったのだろう。尾根頂稜は藪っぽいのでやや右手直下を辿ると徐々にシラビソの高さが高くなり歩きやすくなってくるが、尾根は相変わらず藪っぽい。

尾根がばらけて適当に登る 開けた場所から見る丸山、木樽山
標高2300m地点で右にトラバース開始 幼木の薄いところをトラバース

 

 傾斜が増すと尾根がばらけて下りが難しくなるので念を入れて目印を付ける。1カ所樹林が開けて背後の風景が開け、昨日登った丸山から木樽山が見えたので写真を撮影する。この標高になると僅かながら残雪が見られ、霜柱がたったままである。気温は0度前後だが急な登りで体を動かしているのでTシャツのままでちょうどいいくらいだ。やがて肩のように傾斜が緩むところに飛び出し、GPSで測定すると既に標高は2300m、このまままっすぐ進むと立俣山東側の2430m峰に登ってしまうので、GPSの強みを生かしてトラバースすることにする。もちろん目印がないと戻れないので今まで同様の頻度で付けながらである。相変わらず発達した歩きやすいシラビソ樹林で下草も幼木も無く、右手に斜めに登っていくと小さな尾根を境に幼木帯に変化しており、藪漕ぎはごめんなので今度はまっすぐ上を目指し藪が薄くなったところで再び右方向に移動だ。幼木はあるが邪魔というほどの密度ではなくなり、すぐにおとなしい樹林に戻ってくれて獣道を辿って西にほぼ真西に進む。

兎岳西尾根北側の方が歩きやすい これも本邦初公開? 立俣山山頂
倒木についている文字が消えた山頂標識 中村さん、あなたは凄い!

 

 そして兎岳西尾根に到着、これがシラビソの幼木で尾根上は藪っぽく、北側の背の高い樹林を巻くように歩く。しかしこのままでは山頂を巻いてしまうので適当なところで尾根に乗り、隙間を選んで歩くと突然草付きの広い空間が現れて歩きやすくなった。なんか加加森山の尾根に似てるなぁ。緩やかな下りが終わって水平移動になると真っ白な三角点が鎮座する立俣山山頂に到着した。意外に樹林が薄くて日当たりが良く、南側の視界がそこそこ得られる山頂であった。文字が消えた山頂標識が倒れた小振りの木に付いており、低いシラビソには赤布が付いていて「2005.9.18 中村」と書いてあった。この中村さん、こんなところに登るとは絶対にタダモノでは無い! ちなみに私の藪山仲間には中村さんはいない。約2ヶ月前であるが、いったい1年で何人登るのかわからないが次に登るまでの間が2ヶ月間というのは短いかもしれない? 太いダケカンバの幹には釘か何かでひっかいて書かれた文字があったが良く読めなかった。

 今日は昨日と違ってこの後は下りだけなので気楽で、防寒着を着て日向でひっくり返って休憩だ。天気は非常に良く風もなくて最高の藪山日和、こんな日を選んで正解だった。東京を出発する時点での飯田の週間予報はロクでもなかったが、結局は素人判断の方が正しかったなぁ。平日であるが無線は東海地方が良く聞こえていたが知り合いとはつながらなかった。山頂には30分ほど滞在し、もう2度と来ることはない山を後にした。さあ、次に来るのは誰だ? ここまで来ると東京より名古屋方面の方が近いので名古屋グループに頑張ってもらいたいところだ。

 下りは目印が頼りだが、トラバースした場所は尾根でも何でもないので時々目印を見失い記憶を頼りに目印はあっちにあるはずだ!と勘を駆使して歩いた。最終的にはGPSがあるのでどうにかなるが、やはり目印をトレースするのとでは安心感が違う。トラバースを開始した肩に到着すると尾根になるのでルートを追いやすくなり、下るに従って尾根がはっきりしてますます安心できる。しかしシラビソ樹林から広葉樹林に切り替わる頃に尾根が急角度に落ち込むところで目印を見失い、1分ほどさまよって左のごく小さな尾根に目印を発見できた。ある意味、ここからが本日の核心部で、登りでも恐怖を感じた樹木がまばらな猛烈な傾斜を下るのだ。本当に滑ったら止まりそうもなくピッケルが欲しいくらいなので、細い灌木をナタで切って先端を斜めに切った杖を作り、地面に刺しながらバックで下っていった。下ると尾根の傾斜が緩むが今度はとても下れそうにないくらい尾根が切れ落ちるので左手に逃げてこれまた杖を支えに慎重に下った。ようやく橋が見えて安心できる傾斜になれば適当に下っても問題なくなり、再び現れた目印を辿って林道終点に飛び出した。

大沢山荘 かなりでかい小屋

 あとは単純に廃林道を歩いて大沢岳登山道に戻り休憩、今日はまだまだ暗くなるまで時間があるので先に進める。やっぱりあの廃林道を歩くのはごめんなので登山道を歩くことにして、大ザックを担いで北又沢目指して下っていく。周囲は藪が無く登山道は唐松の落葉に覆われて道がどこにあるのかわかりにくいが雰囲気と目印でどうにか辿ることができたが、慣れない人だとこの時期は登山道を失いかねない。これも利用者が少ない影響だろうか。大沢山荘は立派な2階建てで、たぶん昔は営業小屋だったと思われるくらいの規模であった。ドアとかは壊れかけてはいるが充分使える小屋であった。水場はないと思っていたが、小屋直下に水場の案内標識があったので近くにあるのかもしれない。ここで泊まってもいいのだが、大沢渡の様子が不明で、もし渡渉が必要だった場合は明日朝では気温が下がって石の表面が氷でコーティングされて渡れない可能性もあり、今日のうちに渡っておきたかったので先を急いだ。徐々に傾斜が増してジグザグに下り、最後は尾根右を下って沢に降りた。

大沢渡の手動式カゴ 大沢渡の沢。微妙に渡渉できそう

川縁で幕営

 

 さて、どうやって対岸に渡るのか心配していたが、その方法は予想外であった。聖岳の西沢渡と同じく人力の「ロープウェイ」であった。これなら凍っていても問題なかったなぁ。カゴは小さく大ザックを乗せるとどうにか人間1人が乗るか乗らないかくらいで、ザックをカゴからはみ出させて人間も同乗する。渡るにはロープを引っ張ってカゴを移動させるが、思ったより軽く動いてくれて腕が疲れるようなことはなかった。対岸に渡ると登山道はジグザグに上に延びており、やっぱり地形図やエアリアマップの道の付き方とは異なっていた。明日はここを登るが、水場は無いから本日の宿はここである。落ち葉を集めて平地にしいてテントマット代わりだ。沢の音を子守歌にし酒を飲んで寝た。

紅葉の中を登る 林道から見た南ア深南部

 

 翌朝は5時に起床、満天の星空かと思いきや、雲に覆われているようで星が見えない。でも予報では好天のはずで、そのうち晴れるだろうと飯を食って薄明るくなった頃にテントを撤収して出発する。林道まで標高差600mあるのでゆっくりと上がっていく。傾斜はかなり急で、テント場で調達した木の杖を突きながら落葉で足を滑らせないよう注意しながら歩いた。足が弱い人だとここの下りは難儀するかもしれないな。この標高だと紅葉のピークで目を楽しませてくれ、ジグザグを切りながらグングン高度を上げる。途中の岩に「中間点」と書かれていたが、本当に真ん中にあるのか謎だ。今ならGPSで正確な標高が分かるので真偽のほどは判定できるがわざわざそこまでやる必要もないのでGPSは出さなかった。徐々に周囲の山が見えてきて丸山を巻く林道も同じくらいの高さに見えるようになると上空が開け林道に飛び出した。やはり廃林道を歩くよりも標高差で損をするがこっちを歩いた方が時間がかからないし楽だった。

 ひなたぼっこをしながら休憩して1時間半の林道歩きでゲートに到着、落石は問題なくシラビソ峠に戻ることができた。峠からの展望は圧巻で、荒川前岳、赤石岳、大沢岳、中盛丸山、兎岳、聖岳、上河内岳、茶臼岳、仁田岳、易老岳、光岳、加加森山、それに丸山、立俣山と、過去に制覇した山並みが並んでいた。


おまけの前尾高山
 前尾高山は尾高山と一緒に登っているが、当時は山名事典はなくて無線をやっていないので、無線をやりに登ることにする。道がないろくでもない山登りをやったあとでは簡単な山であるが、なにせ2泊3日の山行の後にもう1山だから体力的な余裕はあまりない。アタックザックに防寒着と無線機を入れて歩き出す。前回登ったときは雨が降り出してしまい傘を差しながら歩いたが、今回は無風快晴の絶好の天気である。登りはじめで西側の視界が開けて中アが見えたが雪は全くなかった。春先に登ったアザミ岳が懐かしい。頭を出した木曽御嶽は真っ白であった。

 唐松植林帯はすぐに終わってシラビソ樹林に変わる。途中で「ビューポイント」との案内標識があって2カ所で視界が得られ展望を楽しむ。たぶんここしか視界が開けた場所は無いのだろう。南ア南部でこの標高ではしょうがないか。藪がない発達したシラビソ樹林を登り切ると前尾高山で、倒木に座って無線を行い、直ぐに撤収して峠に下った。

 入浴は「ハイランドしらびそ」で可能であり、入浴は11時からとのことで前尾高山で時間をつぶして正解だった。風呂は3階にあって東の展望がよく、南ア南部の山々を眺めながら3日間の汗と垢を洗い流した。


11/08
6:23ゲート−6:55最初の造林小屋(登山口50分の看板)−7:06登りになる−7:28 2つ目の造林小屋−7:39大沢岳登山口−7:46廃バス−7:50廃林道化−8:16造林小屋−8:54造林小屋(山頂渉猟著者が使った小屋)−9:09中俣沢右俣着(休憩)−9:37発−9:53沢を離れる−10:08尾根に乗る−11:09主稜線(2250m峰)−11:14丸山北鞍部−11:31丸山着−11:55丸山発−12:09丸山北:鞍部−12:12 2250m峰−13:20木樽山着−13:51木樽山発−2:47 2250m峰着−14:56 2250m峰発−15:32 尾根を外れる−15:47−中俣沢右俣着(休憩)−16:00発−16:15造林小屋−16:29幕営(N35.27.35 E138.04.58 1608m)

11/09
6:23出発−6:49深ヶ沢左俣−7:41大沢岳登山道着−7:59大沢岳登山道発−8:20大沢にかかる橋着−8:27発−8:55小さな尾根に取り付く−9:37幼木帯−9:44 1875m地点で休憩−10:00発−10:25古い伐採地−10:48尾根がはっきりしなくなる−11:26主稜線−11:30立俣山着−12:03立俣山発−12:09主稜線を離れる−12:55 1875m地点−12:58幼木帯−13:13目印を見失う−13:23猛烈な傾斜になる−13:30左の斜面を下る−13:40林道−14:08大沢岳登山道着−14:28発−14:51大沢山荘−15:11大沢渡−15:15対岸に到着、幕営

11/10
6:12発−6:40「中間点」の岩−7:29林道着−7:57発−8:10 2つ目の造林小屋−8:43最初の造林小屋−9:20ゲート

前尾高山
9:48シラビソ峠−10:26前尾高山着−10:31発−10:53シラビソ峠

 

 

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