南ア深南部 大根沢山

 

 

 2004年終盤は、当初から計画されていたことだが地獄の業務スケジュールとなり、とても山に行ける状況ではなかった。11月初旬から12月中旬までが地獄の日々で、後半は毎日午前3,4時まで仕事をして会社で仮眠して8時半から再び仕事をするという、定時の就業時間より残業時間の方が多く、しかも残業時間も深夜残業の方が多いという異常事態で過労死するかと思うほどだった。2週間は会社に泊まって監禁状態で、約1ヶ月半は山に行く余裕はなかった。

 ようやく開放され週末は自由に休みが取れるようになり、山のリハビリを始めることになった。1ヶ月半も歩いていなければ体力はガタ落ちで、間違いなく最初の復帰戦直後に筋肉痛に襲われるだろうし、今までのような常識を越えた山行はいきなりは無理だろう。でも今年は暖冬で南アでもほとんど雪がない状態で、2000m峰は稼ぎたかった。そこで復帰戦に浮かんだのは大根沢山だった。ここは山渓の分県登山ガイドにも出ている山で、正式な登山道はないがガイドブックに書かれるくらいだから大したことはなさそうで、今まで後回しにして登り残していた。標高差は約1200mなので私の通常状態ならば鼻歌交じりの日帰りが可能だが、ブランクの影響でどれほど堪えるのか不安はあったが、早朝登山なら時間がかかっても明るい内に下山できると推定した。

 ガイドブックでは信濃俣河内から西河内を遡上し、明神林道跡へと縦走するルートが紹介されていたので、信濃俣河内、西河内からの往復を考えた。沢は平凡で危険はないと書かれていたので問題ないだろう。釣り人の踏跡も顕著との記述だ。まあ、リハビリには適度だろう。

 午前中で仕事を切り上げ、静岡に向けて車を走らせる。久しぶりに河口湖ICから南下するルートを取り、富士市街手前で国道52号線へと乗り移り、1号バイパスで旧清水から静岡市へと入り、長い長い井川への道を運転だ。10月はやっていた田代の先のトンネル工事は既に完了して時間制限もなく、畑薙第1ダムにたどり着いた。一応沼平ゲートの様子を見に行くと登山者の車は1台も無く、ゲート(というか門)は閉まっていた。

 

ヘリポート跡駐車スペース 北東尾根の取り付き点

 

 逆戻りして畑薙第1ダムから大井川右岸の林道を遡る。廃林道かと思いきや、つい最近整備した形跡が見られ、路面はやや荒れているが普通車でも通行可能で、半島のようにダム湖に突き出した岬の根本よりやや先まで整備済みで、駐車スペースの関係で半島に駐車した。ここがヘリポート跡らしい。予想通り雪は皆無で、おそらく山頂にも雪はないと考えた。到着は午後7時ちょっとで、準備をし終わってから地図を見たりガイドブックを見たりしてルートをよく見ると、どうも沢を単純に遡上するのではなく尾根を乗り越える部分があるようだ。帰りは登りになるのでイヤだなぁと考えつつ、山頂渉猟の著者はどう登ったのかと見てみると、なんとここから北東尾根を登ったと書かれていた。藪の記述はなく、沢歩きよりこっちの方が距離は短そうなので真似をすることに決定。少しは所要時間を短縮できそうだ。PCを立ち上げてカシミールで要所要所の緯度経度を調べ、GPSに入力しておく。これで下山時の参考になるだろう。酒を飲みながらPCで遊んで寝た。なお、後日、大根沢山をネットで検索したが、北東尾根から登った記事は発見できなかった。

 朝の気温は0度をちょっと下回り、車の中でも寒かった。まだ一面の星空だが、なんせ久しぶりの登山だから早めに出て時間的余裕を確保したかったので準備を開始。飯を食って薄明るくなってどうにかライトが要らなくなった6時半過ぎに出発した。尾根取り付きには造林小屋廃屋があり、その脇に明瞭な踏跡があるのでそれに従った。最初は露岩混じりの尾根で、山肌全体としては落葉広葉樹林帯だが尾根周囲だけはシラビソが混じっている。所々で尾根が細くなったり、傾斜がきつくなって滑りやすいところを強引によじ登っているがさほど危険はなく、1カ所では補助ロープまで張ってあったのでこの尾根は結構歩かれているらしい。フィックスロープは痩せた尾根の東を巻く幅の狭い巻道に付けられており、おそらく獣道を登山道に利用して、人間用の道には幅が狭すぎて安全確保に張ったらしい。

 

北東尾根に登った直後 フィックスロープ地点 急なザレ場を登る



 西側がガレて治山工事された場所では視界が開け、全く雪のない上河内岳に伊谷山、上千枚岳がよく見えていた。ガレた這松尾も目立っていた。風が強くこれがめちゃくちゃ冷たく、登りはじめはTシャツ+腕カバーでよかったが、あまりに寒いのでマフラーを追加する。そのうちそれでも寒くて長袖シャツまで登場、その時の気温は−7度だった。登りで長袖シャツを必要としたのは久しぶりだった。

 露岩地帯が終わると静かな落葉樹林帯となり、いよいよ人気の少なさを感じさせるようになるが目印はふんだんにあり迷うおそれはなかった。目印の多さは格別で、自分で準備した目印を付ける必要は全くなかった。ただ、北東尾根を正確に辿る目印がどれだけあるのかはわからないが。どこか枝尾根から登って合流した人もいるだろう。帰りは要注意かもしれないが、こっちにはGPSがあるので細かいミスは出るだろうがどうにかなるだろう。

 

気持ちのいい自然林

尾根が広がった斜面を登る

 

 心配した藪はいっさいなく、目印を頼りに尾根を正確に辿ればよかった。たぶん1550m付近と思われるが檜の人工林を左からあわせ、なおも高度を上げるといつのまにかシラビソばかりの樹林に変わり南アらしさを感じさせる。まだ藪はなく気持ちのいい自然林が続き、無人の樹林帯を無心に登っていく。やがて1927m標高点を過ぎると尾根が広がりだだっ広い斜面を目印を頼りに登っていくので下りは要注意だ。しかし目印が豊富なので見落とさなければ問題ない。

 

2070m峰から見た信濃俣

2135m峰付近から見た大根沢山(右奥は不動岳)

 

 登り切ると傾斜がゆるんで2070m小ピークに到着するも標識も何もない。この標高だと周囲はほとんどシラビソばかりで、冬になっても落葉せず日差しがないので寒い。風が強くて肌を刺すように冷たく、写真撮影のため手袋を脱ぐと指が凍り付きそうだ。西がガレて視界が開けた場所で光岳から信濃俣の写真を撮影する。2年前の秋に歩いた懐かしい山だ。次のガレたビューポイントでは大根沢山の丸い頭が遠くに見えた。お椀を伏せたようなドーム型で、遠くからでも特徴のある形で判別できそうだ。

 

2112m三角点峰 2112m三角点峰の案内標識 なだらかな尾根を歩く

 

 ここからは急な登りはないが水平移動が長く、三角点峰まで思ったより時間がかかった。ここで初めて標識を目撃、今まで歩いてきた方向を指して「畑一」、左に下る方は「明神林道」だった。意外にメジャーなんだな。道のグレードが上がるかと思ったら今までと同じ程度が続いていた。まだ倒れたばかりだろうか、青々とした葉の倒れたシラビソが何本かあったが、丸山〜小瀬戸山の大倒木帯と比べれば屁でもなく、迂回したり跨ぎ越えたりした。

 

大根沢山山頂

 

 ピークを2つ乗り越え、最後の傾斜を登り切るとドーム型の一角にたどり着くがまだ山頂は先で、最高点と思える高まりより先が山頂だとGPSが示しているので辿ると三角点があった。本当に一番高い場所なのか疑問があるが地形頭上の山頂に違いない。後日2.5万図を見たら三角点は山頂には無いことが分かったが、てっぺんは歩いて通過したのでまあいいか。

 やはり誰もいない無人の山頂で、古い標識が数個あるだけだった。山頂渉猟の記事では標識が賑やかだったと書かれているが「ペンチマン」の大掃除があったようだ。気温は相変わらず−7度で体を動かさないとすぐ冷えそうで、ゴアまで総動員してすぐに防寒着を着た。周囲はシラビソで視界も日当たりもないが、僅かに木漏れ日がある場所を選んでシートを敷いた。手袋をしたまま苦労してDPを張ってワッチするとあまり強くない局が2局だけで呼んでも応答が無さそうな強さなので、CQを出すと無事応答があった。横須賀の局からも声がかかったが奥積さんは呼んでこなかったので無線機の前にいなかったらしい。まあ、久しぶりの山で6mでQSOできただけでもよしとしよう。

 帰りは単純に往路を戻るだけなので尾根を外さないよう注意しながら目印を追っていった。もちろんGPSのお世話にもなる。1カ所で尾根を外しそうになったが目印が無くなったのですぐに分かった。どうもこの目印は北東尾根を正確に辿っているようだった。植生から考えると畑薙第1ダム脇から適当な尾根を登っても同じように藪なしで北東尾根に乗れると思うので、少数ながらそちらの尾根にも目印があるかもしれないが。

 もう湖が目の前になった所が最初で最後の難所、露岩地帯で、ザレ場の下りと細い尾根のトラバースだが注意深く歩けば問題ない。すぐにゴールとなり林道に飛び出した。着替えを済ませ白樺荘に直行、今回も無料温泉に間に合った。午後4時でおしまいというのは時間制限がきつく、何度も畑薙ダムに来ているが温泉に間に合ったのは今回を含めて2回だけだ。静岡市営らしく、名前を書くだけで入浴無料というのがうれしい。こんな時期では登山者は皆無に近く、地元老人が2人いるだけの静かな温泉だった。

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