北ア 赤牛岳(おまけの水晶岳、野口五郎岳、南真砂岳、湯俣岳) 2002年7月27〜29日

 

 

 赤牛岳は黒部湖の南、水晶岳北部に位置し、北アルプス北部の奥地といえよう。まともな登山道があるので山としては特別な技術が必要なわけではないが、とにかくアプローチの悪さは一流といえよう。その影響で表銀座のように山ほど人が訪れるようなこともなく静かな山らしい。裏銀座縦走路からも外れ、枝尾根の一ピークなので当然の扱いか。200名山だか300名山だかに入っていなければ、もっと人は来ないだろう。

 赤牛岳の攻め方であるが、幕営だと場所が限られて非常にやっかいだ。最初に考えたのは、初日に扇沢から奥黒部ヒュッテに入って幕営、翌日に読売新道を登って赤牛に至り、水晶小屋から竹村新道を通って湯俣で幕営、3日目に高瀬ダムから下山だ。このルートでは2日目の行程が非常にきつい。この1日だけで1500mの高低差を登って下り、長距離を歩くのだ。また、車の回収も問題だ。扇沢に車を置くと、高瀬ダムから結構な距離をタクシーで走る必要があり時間と金がかかる。解決手段としては某猫吉氏がやったように大町温泉郷に車をデポし、バスで扇沢まで入り、帰りはタクシーで高瀬ダムから大町駅まで相乗りし、バスで温泉郷に出ることだ。当初はこれしかないと考えていたが、よくよく考えてみると、初日にブナ立て尾根から野口五郎に入り、2日目にアタック装備で赤牛岳をピストンし竹村新道を下る方がメリットが大きいことに気付いた。武内さんが登ったルートの変形である。ただし、これでは半分以上は昨年裏銀座を歩いたコースと同じだから面白みは減る。できることなら読売新道を歩いてみたいが、後者の計画では初日で稜線に上がるので2日目のアルバイトを大幅に減らすことになるし、竹村新道分岐より先はアタック装備で歩けばいいので大ザックで長距離歩く労力がない。そして下山すると直接車に戻れるからタクシー代と時間が削減できメリットが大きい。ただし、2日目のコースタイム(エアリアマップ)を合計すると約17時間になってしまった。通常ならこんな計画は考えないが、限られたテント場で南真砂等竹村新道の山も巡るにはしょうがない。水晶小屋で幕営できれば無理のない計画が立てられるのだが。

 フレックスで会社を早めに帰り、クソ暑い中荷物を積んで出発。今回は休日が9日間もあるので地図類は満載だ。着る物は下山後に毎回洗濯する予定なので、山で使う物はめいっぱい持ったが下界で着る物は最小数しか持たなかった。また、今回からは車中の暑さ対策のため、フロントガラスや側面ガラスの日よけを購入して積み込んだ。ついでに携帯式蚊取器もだ。これで山中で寝るときも快適だろう。

 調布から中央道に乗り豊科を目指す。高速に乗ってすぐに車の異常に気付いた。95km/h以上スピードを出すとハンドルが異常振動を起こすのだ。まるでタイアが外れてしまうのではないかと思われるほどの振動で、怖くてスピードが出せなかった。八王子料金所で車を止め、タイアが緩んでいないか確認したが大丈夫だった。どうもサスペンションのアライメントが狂っているようだ。まあ、今回は高速はあまり使わないから良いが、これが四国遠征とかだったら時間ロスも馬鹿にならない。不幸中の幸いか。後日、レンタカー屋に連絡しておいた。

 豊科からは大町までの北上コース。何度も通っているから地図を見る必要もない。七倉ダムの案内標識に従ってゲートに到着すると、駐車場の入りは50%くらいだった。昼間は木陰になる絶好のポジションに車を突っ込み、日よけ対策をして酒を飲んで寝た。

 ゲートが開くのがAM6:30なのでゆっくりしていても良いが、タクシーの待ち行列が長くなった場合には時間をロスするので早めに起きてザックをデポし、朝飯をゆっくり食べた。なかなかタクシーが来なくて、まさかこの時期は大町で客を乗せたタクシーしか来ないのかと不安になったが、6時くらいに空車のタクシーがやってきて一安心。まだ大町からの客を乗せたタクシーは来なかったので、1番手の10台になることが確定した。その後、急行アルプスを降りた客を乗せたタクシーがやってきて、総勢20台くらいになった。今日は天気が良くなりそうだ。上空には青空が広がっている。

 ゲート開門時間になり出発。6月の残雪期で帰りに歩いた長いトンネルもダム堰堤の曲がりくねった道も車ならあっと言うまだ。下を見ると20台近いタクシーが列を作って登っている。あれ? 今年から10台の縛りが無くなったらしい。一度に入れる台数を10台に制限するメリットが分からなかったが、東電もそれに気付いて登山者の利便性を考えてくれたのかなぁ。

 ダムに到着すると風が冷たいくらいだ。周囲のオジチャン、オバチャン連中は準備体操など始めるが、最初は平坦な歩きで準備運動代わりになるから即出発。トンネルを抜けて吊橋を渡り、河原を歩いているところで若者に抜かれた。これが日帰り程度のザックで無茶苦茶速く、ブナ立て尾根入口までに200mくらいは離されてしまった。結局、この若者には烏帽子小屋までに1時間くらい離されていた。まあ、こっちは2泊の幕営装備で70リットルのザックだから仕方ないか。しかし、抜かれること自体、数年前の北岳以来のことで、今回は相手のスピードが圧倒的だった。いったい、どんなコースを歩くのだろうか。

 先週の槍穂縦走の疲れがまだ完全に取れていないようで、2000mを越えた辺りで一度休憩し、出発から3時間で烏帽子小屋に到着した。もう少し先まで歩き、テント場付近で昼飯。風が心地良い。今日の行程は野口五郎小屋までだからゆっくり歩けばいい。三ツ岳と野口五郎は無線運用済みである。三ツ岳の登りはきつかったが我慢の歩行、巻き道を越えて下りはじめた先にある雪渓の細い水源で水浴びした。小屋にも水場があって水浴びできるが、あまりの暑さに我慢できなくなったのだ。タオルで全身を拭くと気分爽快だ。

 

野口五郎岳山頂 野口五郎岳から見た野口五郎小屋

 それからまもなくで小屋に到着した。しかし、昨年は出ていた水が今年は出ていない。どうしたのだろう? 水源の雪渓はたっぷりあるが。まあいいか、さっき水浴びしたばかりだし、この水は濁って飲料不適だから。幕営手続きをして水2リットルを購入した。今年もまた幕営では1番で、テン場最上部に陣取ることにした。設営を済ませ、休憩してから野口五郎岳に向かい、430で少し運用した。山ランメンバーがいるかと期待したがつながらなかった。今日は各地で活動しているはずである。※この記録は2002年のものであり、現在は野口五郎小屋での幕営はできませんので注意!

 日が傾くとテントも日陰に入って涼しくなる。下界はガスで見えないが夕立が来る気配はなかった。歯磨きしながら小屋の裏手の岩峰に登り涼んでいると、東からガスが流れてきて、西日が当たるとブロッケンが見られた。おお、ラッキー! 明日の赤牛岳アタックを祝福しているかのようだった。暗くなる前に酒を飲んで眠りについた。

 2日目の行程は長い。2時半に起きて3:30に出発だ。天気は快晴、月明かりがはっきりと陰を落とすくらいでヘッドランプ無しで歩ける。気分は怪人だ。私の出発直後に小屋泊まりの数人が出発、ライトがゆらゆらしているので位置が良くわかる。野口五郎岳の山頂は用事がないので巻き道に入る。岩の重なった道だが月明かりだけでルートは見えた。真砂岳直下の巻き道では古ぼけた標識があって真砂岳頂上方向を向いていたが、昨年歩いたときには気付かなかった。昨年の記憶では竹村新道分岐は鞍部付近にあり、明白な標識があったはずだ。まさかこの古い標識が分岐ではないよなぁ。標識の方向を見上げても道筋は見えず、ただの岩屑の斜面だった。鞍部へ向けて下ってくると分岐が現れて一安心。

 ここでメインザックをデポしてアタックだ。ところが、ザックをデポする適当な場所がない。山腹は傾斜が急でザックは置けない。竹村新道側に入ったところで少し道幅が広くなっているが、道がやや傾いていてザックが谷底に転げ落ちそうなのだ。風でも吹いたらなおのこと危なっかしい。そこでタイアの車止めのようにザックの下に石を置いて転がらないようにした。これなら大丈夫だろう。さあ、ここに戻ってくるのは何時になるだろうか。

 アタック装備は6mは持たず、VX-5にゴア、水、昼飯だ。まずは水晶小屋までのアップダウンが続くの尾根を越えていく。昨年の縦走時には感じなかったが、帰りにまたこれに登ると考えるとうんざりするくらいの細かいアップダウンがあった。水晶小屋を出た人とすれ違う。もうライトはいらないからザックに仕舞ってあった。最後の一登りで水晶小屋、時刻はまだ6時だ。水晶小屋宿泊者はのんびりしていて、これから出発らしく体操などしている。ここは素通りして水晶岳山頂でちょっと休むことにした。なだらかな尾根が終わると岩場だが直登せず西側に巻く。

 

水晶岳から見た赤牛岳(背景は立山) 水晶岳から見た槍穂、鷲羽岳
水晶岳から見た黒部五郎岳 水晶岳から見た薬師岳

 

 昨年に引き続き2度目の水晶岳山頂も好天だった。先客2人だけの静かな山。北には赤牛岳が意外に近そうに見えるが時間がかかるんだな、これが。南は北ア中心部の山がずらり勢揃い。3日間風雨とガスで視界ゼロだった槍穂の稜線が恨めしい。1日くらいこんな天気の中を歩きたかった。水晶岳は昨年無線をやったのでオンエアせず、数分間眺めを楽しんで出発した。

 さあ、ここから未知の領域だ。しばらくは岩の道が続いた。特に危険個所もないが、水晶から高度を下げるから帰りは登りになるのがくやしい。温泉沢ノ頭まで意外に時間がかかって到着、温泉沢沿いの道はバリエーションルートかと思ったらしっかりした標識がついていた。ここからさらに高度を下げる。振り向くと水晶岳がだいぶ高くなった。最低鞍部で休憩。

 

南から見た赤牛岳 赤牛岳山頂
赤牛岳から見た槍穂、水晶岳(拡大) 赤牛岳から見た槍穂、水晶岳、笠ヶ岳

 

 赤牛岳に向けての登りは思ったよりも労力が必要だった。昨日の疲労が残っているうえにペースを上げすぎたようで、まだ半分も歩いていないので足取りが重い。ピークを1つ越え、遠くから見ると緩やかな登りに思えた尾根も意外に傾斜がきつかった。西側から回り込むように登り切ると待望の赤牛岳山頂だった。

 

 当然ながら森林限界を超えているから見晴らしは360度だ。でかいのは隣の薬師岳。3つのカールが揃い踏みだ。立山へと続く尾根もはっきり見える。スゴ乗越で大きく高度を下げている。お盆にあそこを歩くはずだ。ここから見る水晶岳はとても格好がいい。真っ黒な岩壁が聳え、別名「黒岳」の名がふさわしい。野口五郎岳方面から見ると尾根の盛り上がりにしか見えないが、ここからは立派な独立峰に見える。赤牛岳の赤い地肌、水晶岳の黒い岩、そして野口五郎岳の花崗岩の白。派手な色ではないがコントラストを演出している。雲海の向こうに後立山も白馬から蓮華まで全部見えていた。烏帽子岳が低く見える。

 先客は女子大生風の2人組み。今朝水晶小屋を出発し読売新道を下るのだろう。無線運用を始めてすぐに歩いていった。無人になった山頂でのんびりとCQを出したが、日曜日なので430FMで簡単につながった。帰りの労力を考え1時間程度休憩をし、軽く腹ごしらえをして帰路についた。鞍部までは簡単にいったが、登り返しがつらかった。天気は良すぎるくらいで風もほとんどなく、肌に突き刺さる日射で暑さが厳しかった。濡れタオルも乾いてしまい涼が得られない。しかし、稜線の途中で東側に雪庇の残骸を発見、水分補給のために食べたりしたが、一部はタオルに包んで首の裏に乗せた。これがたまらなく気持ちいい! 冷媒と水源を兼ねた良いアイディアだった。これで少し気分は楽になったが脚力の回復には無関係で足取りは重く、やっとの思いで水晶岳を越えて水晶小屋に到着した。ここで大休止。

 350ccを買い求めたが冷えていないのにはがっかりだった。近くに雪田があるのだから雪を持ってきて冷やせばいいのにな。それでも疲れた体にはカンフル剤になる。パンをかじりながら飲み干した。しかし、小屋の前の広場には日陰が無く、休んでいても暑いこと! 天気がいいのも考え物だ。傘を持ってくればよかった。

 30分ほど休んで竹村新道へと向かったが、尾根の上り下りでは疲れ果てた。こんな疲労した身で大ザックを背負って竹村新道を下れるのか自分でも心配になってきた。少しの登りでも足が前に出ない。這うような速度でザックにたどり着き、たまらず小休止。水を飲んで重いザックを背負って出発。南真砂岳までの尾根は痩せている部分もあり、足場の悪い下りもあったがフィックスロープが張ってあった。登ってくる人が点々と見えている。鞍部から南真砂への苦しい登りが始まった。標高差僅か100mほどのはずだが、疲労と暑さで牛歩戦術を採らざるを得なかった。でも足を動かしていればいつかは到着する。標識はないが道が左に曲がるところが南真砂岳山頂への道で、ザックをデポし頂上に向かった。

 なだらかな山頂は無人だった。登山道から僅かに外れているため、わざわざ山頂に立ち寄る人は少ないようだ。これなら無線も気兼ねなくできる。真砂岳は上部にガスがかかってきたから、そのうちに焼け付く日差しから開放されるかな。標高が若干下がったが2700m以上だ、ロケーションは良く、CQを出している局が聞こえたのでコールするとつながった。問題は次の湯俣岳だな。2300mあっても周囲はもっと高い山だから。

 さあ、湯俣岳に向けて行くか。遙か下に見えるピークがそうであろう。まだまだ遠い。小ピークを過ぎるとグングン高度を下げていく。樹林帯に入ると虫が鬱陶しい。これが最後の登り返し、湯俣岳の登りに入った。エアリアマップでは山頂南を巻いているように書いてあったがいっこうに巻く気配がない。大ザックのまま、なだらかな尾根を登らされた。そして最高部から僅かに左に入った所に三角点があるではないか。登山道は巻いていなかった。

 三角点に腰掛けて運用を始めようとしたが、こんな標高なのに蚊の大群がいるではないか。Tシャツハーフパンツではボコボコにされてしまうので、クソ暑いのを我慢して上下ともゴアを着た。せめて風が吹けば虫が飛ばされるのだが樹林に囲まれて無風だ。このロケーションでは144の方がマシだろうとスイッチを入れるとラッキーなことに美ケ原移動局がCQを出していた。何局か同時に呼んだようで1発目では取れなかったが2回目に取ってくれた。こちらは蚊の大群に囲まれているので長話する気分ではなく、早々に切り上げた。気分的には休憩にはならなかった。

 走るように蚊の大群から逃げ、少し森が開けて虫が少なそうな場所でゴアを脱いだ。徐々に傾斜がきつくなってきて順調に高度を下げると逆に気温が上がって汗が噴き出す。道はきれいに整備されて広いのは幸いだった。もう登り用の体力は残っていないが、下りの膝の力はまだ大丈夫だった。ヘロヘロになりながらも1人追い抜いた。しかし、佐藤さんや武内さんはこの登りを、七倉ゲートから高瀬ダムまで歩き、さらに晴嵐荘まで歩いてから登ったのだから苦労の程がわかる。体調が良いときは傾斜がきつい分、短時間で標高が稼げる道だ。

 

湯俣温泉 晴嵐荘

 崩壊地の脇を通過し、やっと晴嵐荘に到着した! もうヨレヨレだった。ここまでバテたのは日帰りで鴨沢〜雲取山〜石尾根〜奥多摩駅まで歩いて以来だろうか。いや、あの時はこんなもんじゃなかった。下りの筋力も使い果たし、膝も腰も痛かった。今は膝に少々痛みがあるだけだ、と言っても膝が痛むなんて経験そのものが無いから疲労の度合いが分かる。玄関に入ると料金表があり、テントは\500とのこと。温泉セットで\1000とあったが、これは温泉に入るのに\1000ではなく、幕営+温泉で\1000とのこと、無論こちらを選択する。もう汗だくで一刻も早く汗を洗い流したかった。ザックを玄関先に置いて着替えを取り出し、建物に上がって風呂に直行。小さな風呂で、数人入るといっぱいになってしまいそうだが、山中の温泉だから贅沢は言えない。あるだけでラッキーだ。硫黄泉で石鹸が泡立たないが構わない。全身洗ってさっぱりした。

 テント場は河原にあって広く、100張りは可能だろうが3張りくらいしかなかった。木の下の砂地に張り、今朝の露で重くなったテントの虫干しも兼ねる。下界ほどではないが気温が高く、適度な風があるからみるみる乾いた。それでもテントの中では暑いから外に銀マットを敷いて昼寝だ。ここまで下れば明日は水平歩きが3時間+タクシーで車まで戻れる。ゴール間近で気は楽だった。時間が大幅に余っているので北鎌尾根入口と温泉地帯を見に行ってみることにした。吊橋で対岸へ渡り、高瀬ダムとは反対方向に歩いて水門から河原歩き。また橋を渡って左の踏み跡が北鎌尾根へ続く道だ。またここに来ることがあるだろうか。小さな社から急斜面を河原に下って上流部へ歩くと温泉地帯。沸き出す湯は触れないほど熱かった。スコップが有れば露天風呂が掘れるだろう。テント場に戻ってうつらうつらして涼しくなってきた時間を見計らってテントに入りまた昼寝。PM6時くらいから酒を飲んで暗くなる前に寝た。

 翌日は早く行ってもしょうがないので明るくなってから起き出した。今日も快晴だ。テントが露で濡れているかと思ったら、少し風があったせいか乾燥している。これで虫干しの必要はない。食事、パッキングを済ませて出発。道はとても良く整備されていたが、どうも昔の林道っぽい。今では東電の送電線巡視路となっているのだろう。無名沢避難小屋は1時間くらいで到着したが休む時間でもないので通過した。やがて駐車場に出て車道歩き。トンネルに入るとひんやりした空気が気持ちいい。トンネルは複数あるがダム側から数えて2つめのトンネルには、側面からパイプが突きだして地下水を排水している場所がある。この水は風呂に入れるほどではないが温かい。思わず顔を洗ってしまった。たしかに、武内さんの頭に浮かんだように某猫吉氏が水浴びしてもおかしくない。

 ダムに着くとタクシーが2台止まっていた。まだ時間が早いからブナ立尾根からの客はなく、私1人で\1990で七倉ゲートに戻った。月曜朝なので駐車場は所々歯抜けがあった。予定通り木陰の下で車内は涼しかった。今日は2時間の水平歩きで汗もかかなかったので、着替えただけで次の目的地、加賀白山に向けて出発した。


 2年越しの計画で、ようやく北アルプスでも有数の奥深さを誇る赤牛岳に登ることができた。槍穂のような派手さはないが、主稜線から外れた静かな山頂へ立てたことは、槍の頂上に立ったときに喜びの何倍にも感じられた。この年は槍穂を始め、立山、劔、薬師岳等北アの名峰をいくつも登ったが、今回の山行はいずれの山行よりも充実感があった。間違いなく今年一番の山行となるだろう。

 

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