白峰南嶺大縦走 転付峠〜大門沢下降点+転付峠〜ハイマツ尾
2009年9月下旬の情報(熊野様、ありがとうございました)
現在では転付峠から広河内岳まで全線1級の登山道になっており、目印多数で初心者でも迷う心配が無いくらい。ところどころに「DAIMONSAWA」という案内プレートあり。また、笹山北峰、白河内岳には東海パルプの標柱が建っている。問題は稜線上で水場が無いことと、奈良田越が少し迷い易い程度。
以下は管理者が追記
笹山から東尾根で直接奈良田に至るルートも早川町で整備中のはずで(それとも完了?
検索では2009年9月にこの尾根を登って笹山に至った記事を発見したが、そこそこ整備されているとのこと)、エスケープルートに使えると思われる。水場については、以前山渓で見た記録では広河内岳から池ノ沢に下る古い道を下ると得られるようだ。できれば笹山付近で水が得られるといいのだが。
今ではほとんど南アは登り尽くし、まとまった山として唯一残っていたのが白峰南嶺だ。登り残しは広河内岳から笊ケ岳の間であるが、これを週末だけで片づけられるのは武内さんくらいであろう。凡人は2回に分けて登るのが常道だ。私の体力限界に挑戦すれば転付峠〜農鳥下降点は1泊2日、転付峠〜這松尾はギリギリ日帰り可能と踏んだ。どちらも出発点は転付峠となるため、1発目は天候によってどちらのコースにしても良い。どちらに行くにしても水場が無く、残雪期の方が有利なので5月後半を狙った。北上コースの難関は笹山直下のハイマツの海で、JJ1TXJ藤森さんはここで道を失いビバークを余儀なくされている。南下コースはそれなりの道らしいので特に情報収集はしなかった。
その1
田代→転付峠→西別当代山→別当代山→長崖山→白剥山→
笹山→白河内岳→大籠岳→広河内岳→大門沢下降点→奈良田
2001年5月19〜20日
天気予報では5/19は寒気が入って午後から山沿い中心に雷雨とのこと。また、夕方には寒冷前線の通過で荒れそうだったが、翌日には回復するとのことだったので北上コース決行を決断。金曜日の夜、まだ早い時間に東京を出発し、急な登りの林道を車で走り、田代登山口にPM10:00頃到着。そこには登山道崩壊のため立ち入りは遠慮せよとの趣旨の看板があったが、まさか有名コースで通行不能はなかろうと判断した。上空は満天の星空だ。パッキングを整えてから寝酒を飲んで就寝した。
転付峠北側から見た荒川岳、赤石岳(奥) |
AM3:00起床の予定が2:30に目が覚めた。上空は星空のままだ。朝食を済ませてヘッドライトを点灯して出発した。次々と現れる橋を渡りながら進む。確かに土石流で橋が流されたりしている箇所もあったが、迂回路も造られていて危険個所はなく、保利沢小屋に到着したときはすっかり明るくなっていた。この先で登山道は沢から離れて高度を上げていく。日影にほんの僅かな残雪があり、これなら稜線上の水の心配はないと一安心。峠直下の水場と掘立小屋も健在で(2003年秋に行ったら小屋は崩壊し無くなっていましたので注意)、そこから僅かで懐かしの転付峠に到着した。数年前に来たときには両側から笹が覆い被さっていたように記憶していたが、今はきれいになっていた。
樹林の隙間から残雪をまとった聖、赤石、荒川が大きい。もう真っ白ではなく黒い部分も多い。心配していた天気も3000m峰にガスがかかっていないので問題なかろう。まずは別当代山を目指して林道を歩く。部分的にコンクリート舗装されたしっかりした車道であるが、数カ所で大規模な崩壊や崖崩れがあって車の通行は不可能だ。林道には比較的新しい複数の足跡が見られ、残雪期を狙って縦走する人はけっこういるようだ。変な藪山よりも人が多いのは多少心強い。
別当代山山頂 |
林道の最高地点が別当代山への入口だが、当然ながら道はない。しかし、武内記事によれば藪のない樹林帯とのことなので問題なかろう。アタックザックにリグを入れて適当な斜面をよじ登って樹林帯に入った。とたんに残雪が現れるが、幸いにして深い場所でも足首くらいまでしか沈まない。歩きやすい所を適当に辿り、高いところを目指す。やがて傾斜が緩んで樹林の中のなだらかなピークに到着した。これが西別当代山だろうが、まだ時間帯が早くQSO相手の確保に苦労しそうなので、先に別当代山まで行くことにする。緩やかな下りも樹林帯で残雪が続く。やがてツガからカラマツ林に変わると日当たりの影響か雪が消えて歩きやすくなった。相変わらず藪のやの字も無く、小ピークをいくつか通過し、奥行きのあるピークが別当代山であった。三角点があって、丸いプラスチックのプレートがあるだけだ。樹林で視界はない。6mをワッチするとCQを出していた局がいたのでコール、QSO終了直後に大常連のJG1OPH他から声がかかる。まだ先は長いので今後の予定を伝えてそうそうに切り上げた。
西別当代山に戻って6mで1QSO。デポしたザックを回収して出発。ここからは長崖山手前まで林道は下りになる。なるほど、長崖山は名前の通り山頂西側が大きくガレている。鞍部から登りに変わり、登り切ると長崖山の山頂北部直下だ。ここから山頂まで5分程度だった。道はないが東側は疎林でどこでも歩ける状態だ。山頂には標識類は一切無かった。目の前には荒川岳が大きい。
林道終点から見た白剥山、笹山(雲がかかっている) | 白剥山山頂 |
ここから奈良田越までは林道をジグザグりながら下り、大きくカーブして下る林道と別れて直進する林道に入る。すぐに広場に出てルートが分からなくなるが、武内記事によれば県境尾根に登れば道があるとのことなので、シラビソの樹林帯をかき分けて尾根によじ登る。さび付いたワイアーロープを跨ぐとそこそこのグレードの登山道があり、所々ツガの枝が張りだしている所もあったが、全般的に背の高い樹林帯が続いて歩きやすい。道もはっきりしていて藪山という雰囲気は全く感じられない。雪も全くない。
白剥山の先から見た転付峠方面 | いよいよ笹山へと登る |
ようやく急な登りが終わると樹林に囲まれた白剥山山頂。初めて山頂標識を目にした。手早く6mを運用し、いよいよ本行程最大の難関である笹山の登りにかかった。この先はシラビソ樹林帯は残雪、落葉樹林帯は無雪だったが、標高が2500mを越えるとコンスタントに残雪が現れた。目印が少なく夏道がどこを通っているのかはほとんどわからないが、残雪なので稜線を外さないように適当に歩いた。残雪には先人の足跡が残っていたが、どうも稜線を正確にトレースしていなくて不安だったので自分の判断で歩く。天気が段々怪しくなり、雲が増えて目の前の笹山も時々ガスで隠れるようになってしまった。ガスられるとハイマツ帯のルートファインディングが難しくなるのではと少々焦る。それに笹山直下の登りから風が強まり、雨と霰が降り出した。しかし、笹山山頂への最後の登りでは尾根の東半分が残雪に覆われた状態になって、結局はハイマツ帯は残雪の上を淡々と歩いただけでルートファインディングの必要もなく簡単に山頂に到着できた。
笹山三角点峰 背後のピークは2730m峰 |
笹山山頂はハイマツの海がきれいにとぎれた、石ころが転がったハゲた場所だった。意外だったのは山梨100名山の標柱があったこと。こんなところまで担ぎ上げたのだろうか。笹山が選ばれていること自体に驚いた。いったいどれだけの人がここに登れるのだろうか。三角点は南側に入った、藪に半分隠れたところに設置してあり、事前情報がないと発見は難しいかも知れない。妙に黒くて保護色だ。
当初の計画ではここで幕営だったが、まだ時刻がPM1:00を少し回った程度だったので先に行くことにする。時間的にはこのまま行けば白河内岳まで1時間、大籠岳まで30分、そこから広河内岳まで1時間ちょっとというところなので、頑張れば明るい内に下降点までたどり着けそうだったが、白河内から先は岩稜帯で雷雨に遭ったら逃げ場が無く怖い思いをするだろうし、天候も徐々に悪化してきているので諦めた。
白河内岳に向かう途中、武内さんも登った笹山最高峰を通過、残雪期だと三角点峰から5分もかからない。こちらの方が尖っていてピークらしい雰囲気だ。そこからは残雪の稜線をひたすら北上、時々腿まで雪を踏み抜いて脱出に苦労したりしながら登りにかかり、正規ルートよりも東側の残雪帯を登って白河内岳山頂直下南側の岩稜とハイマツの庭園風平地に到着。ここならハイマツで強風も避けられ、低地になっているので落雷の心配も少しは低くなるだろうとのもくろみで幕営地に決定。白河内岳は山ラン無効だが、時間があるし2度と来ることもないので、せっかくだからとアタック装備で山頂に登り、強風で霰がたたきつける中、JG1OPHとQSOした。
テント場に戻ってテント設営中に急激に天候が悪化、雨とあられ、雪が激しくなってきた。ガスも濃くなって視界も悪化、これだとこの付近の平地ではルート選択が難しい。早々の行動停止は正解だった。やがて雷も鳴り出し、風もいっそう強くなりテントの中でしのぐ。気温の低下は予想以上で、服装は冬装備だったがシュラフはダウンとはいえ軽量の物だったので寒くて熟睡できなかった。アルコール度数20%の焼酎を飲んでも全く酔わない。夜になって雨は止んだが風は収まらずテントが変形するほどだ。紐をしっかりと張り直して時間が過ぎるのをひたすら待つ。2時間おきにテントから首を出して外の様子を見るが日付が変わってもガスが晴れず、やっと星が見えたのはAM2時過ぎで、起床時刻のAM3時には強風は続いていたが満天の星空になっていた。
朝飯のカレーうどんを作ろうとしたら箸を忘れたことが発覚、ハイマツの枯れ枝で代用する。久しぶりの幕営山行ではこんなこともある。日光や尾瀬の樹林帯と違って岩稜帯の残雪はとてもきれいで、ゴミの少なさに驚くほどだ。食事を済ませ、着替えをし、荷物をまとめて外に出ると明るくなりはじめた時刻で、外は昨夜の雪でうっすらと雪化粧、テントはバリバリに凍っていた。5月も終わりに近いというのにここまで冷え込むとは。下界では日中は30度近くまで気温が上がって真夏のようだというのに。
大籠岳から見た広河内岳、農鳥岳、北岳 |
AM4:30に出発。すっかり明るくなってルートファインディングの心配もない。秋を思わせるような真っ青な青空が広がり、目の前には農鳥までの稜線と切り立った北岳。でも相変わらず西風が強く、耐風姿勢をとるまではいかないものの、気を付けないとよろけるくらいだ。白河内岳から先は岩稜帯に様変わりし、目印は無いが藪も無いので適当に尾根を歩けばいい。雪も東斜面以外はなく、稜線上は無雪だ。いくつかピークを越える中で、平べったい小さなピークに三角点を発見、これが大籠岳だ。標識は無いし周囲のピークと比較しても目立ったところもなく、普通は通過してしまうだろう。東側の雪渓上に陣取り、ハイマツを風よけにして無線。AM5時でQSO相手がいるか心配だったが、6Mで5分くらいCQを出したら常連が出てきてくれた。
広河内岳から見た間ノ岳、仙丈ヶ岳 | 広河内岳から見た白河内岳 |
この先が最後の登り、広河内岳だ。ここも雪が無くアイゼン無しで岩稜の尾根を淡々と登るだけ。1時間で山頂、ここに立ったのは何年前だったろうか。まさか2度とこの山頂を踏むことは無かろうと思っていたが、こうして山頂に立ち、快晴の天気の中周囲のジャイアンツを見渡せるとは感激の至りだ。
ここからは一般ルートに合流するのでもう安心かと思ったら最大の難関が待っているとは。下降点の夏道は斜面を大きくジグザクを切って下っていくが、冬場は雪渓を横断することになって雪崩や滑落の危険があるので北側の尾根上の冬道をとる。しかし、そんなことを知らない私は、誰か間違って歩いた大雪渓トラバースコースを辿ってしまった。この失敗には少々前置きがあるのだが、とにかくトラバースをせざるを得ない状況になってしまい、とんでもない急傾斜の雪渓を3度横断した。まさかピッケルが必要な場面に出くわすとは思いもせず、手ぶら状態だったので生きた心地がしなかった。やっと藪のある尾根に取り付いたときは緊張が解けてしばらくへたり込んでしまった。この後は踏み跡はあてにしないで自分の歩きやすいルートで尾根を延々と下り左手から正規ルートが合流、あとはルンルン気分で大門沢小屋まで歩いた。
大門沢から見た下降点 |
まだ小屋は営業しておらず、350ccの夢は叶わなかったが、濡れた靴下を交換し、昼飯を食い、パッキングを整え直した。あとは長い登山道を淡々と下るだけでバスの時刻もあるのでのんびり歩き、発電所手前のゲート付近で時間調整と虫干しのために道路脇の日当たりの良い場所に濡れたテント等を広げて虫干し、人間は木陰で昼寝。下界は真夏の天気であっという間にテントは乾いた。適当な時間に出発して舗装道路を歩いていると汗が噴き出す。バスの時刻の15分くらい前に懐かしの奈良田バス停到着。本当はここで温泉に入りたかったが、田代発電所上部の登山口に置いた車までの林道歩きが残っているので我慢。クーラーの利いたバスで田代入口まで戻り、ザックをデポして空身で林道を1時間かけて登り、車では僅か10分でバス停。いつもの草塩温泉で汗を洗い流し、さっぱりして東京に戻った。
その2
田代⇔転付峠⇔保利沢山⇔天上小屋山⇔黒桂岳(生木割)⇔這松尾 2001年5月26日
転付峠 | 林道終点。「笊ヶ岳」の標識がある |
翌週は転付峠から南下コースだ。今度は少々きついが日帰りなので気が楽だ。天気予報では土曜日は大丈夫らしい。早めに東京を出て登山口で寝酒を飲んで仮眠し、AM2:00に起床。朝飯を取ってAM2:30に出発。転付峠までは先週と同じだから暗闇にヘッドライトでも問題ない。AM5:30に峠到着。少々南に下った所にテントが1つ張ってあった。まだお休み中のようで物音一つしない。
しばらくは林道を歩く。地図に書いていない右手に下る林道がすぐに別れ、その先は廃林道と化していた。その後も右に分岐する道があるが、直進する廃林道を歩くと林道終点。「笊ケ岳」の標識が大きい。その後の登山道も1級で、時々標識も現れる。エアリアマップでは赤点線になっているが、夏道は赤実線クラスだ。ただ、この道は保利沢山の西側を巻いてしまうために山ラン稼ぎには都合が悪い。巻き始めるところで道を外れ稜線を直進する。樹林帯で下草もなく、獣道かも知れないが踏み跡もあり問題なかった。やがて残雪も現れ、藪っぽくなると雪の上を歩いた。こんな所を歩く人が他にもいるようで、忘れた頃にぽつりと目印が現れる。山頂手前で若干木が密集状態でうるさかったものの藪と言うほどでもなく、難なく保利沢山に到着。別当代山でも見た丸いプラスティックプレートがあるだけだった。
保利沢山山頂 | 天上小屋山山頂 |
このまま登山道へ西斜面を直滑降しても良いが、シラビソの幼木で難儀しそうなので稜線を辿ることにし、残雪を拾いながら歩いた。ここもそれほどの藪ではない。尾根が自然に西よりに曲がり、天上小屋岳が見えてくるので良い目標だ。やがて鞍部で縦走路と合流し一安心。この先は縦走路にも雪が残っている。
緩やかに登ると天上小屋岳山頂だ。ここは南北に細長く、樹林に覆われて視界はない。行政で立てた山頂標識がある。休憩を兼ねて無線運用し、ここから先はアタック装備でピストンすることにした。天気は問題なく、寒さも感じないので防寒装備はシャツのみ持参する。
この後は北斜面を中心に残雪がたくさん残っていた。特に黒桂岳直下は一面の残雪、2重山稜になっていて木に付いている目印も少ないので夏道がどこを通っているのか分からない。稜線を外さないように歩いた。夏道が出ていれば何の問題もないのだろうが、帰りは少々注意が必要だろう。
黒桂岳山頂。TVアンテナがある |
残雪の斜面を登りきると目の前にTVアンテナが現れた。ここが黒桂岳の山頂である。今までの人気の無さとは対照的な人工物だ。二軒小屋でのTV聴取用なのだろうか、ケーブルはそちら方面に下っている。静岡市で立てた真新しい標柱が立っており、樹林で囲まれて視界がない。まさかTVIは出ないだろうなぁと思いながらピコ6でQSOした。もし出てもここまで怒鳴り込んでこられないだろうが。
さあ、最後の這松尾だ。残雪の狭い尾根の樹林帯を下ると最低鞍部で、大規模なガレ場が南斜面に広がっている。ここが唯一の展望ポイントで、目の前には笊ケ岳が大きい。北側を見ることになるのでまだまだ白かった。ガレといっても意外と緩やかな斜面で、その上部を辿ってから樹林帯を登り返す。そのうちに左に入る踏み跡があり、そこを登る。とたんにハイマツ中の薄い踏み跡と化し、ハイマツを踏みつけながら歩くことになった。山名の通りだ。もっと標高が高ければ地面を這ったハイマツになるが、この標高では笹山直下同様立ったハイマツである。暑さ対策でハーフパンツで歩いていたため、このままでは足が傷だらけになってしまうので残雪がある東側に逃げて山頂を目指す。
這松尾直下のガレから見た笊ヶ岳 | 這松尾山頂 | 這松尾から見た黒桂岳 |
山頂はハイマツの海の中ではなく「海岸」で、樹林との境界であった。手製の標識が付いている。「海」の中に行けば視界は良く、今まで歩いてきた稜線が展望できる。今度はあれを逆戻りしなければならないのだ。下りとは言え距離が長く時間がかかるので、あまりのんびりもしていられない。6mで手早くQSOを済ませて逆戻りだ。
心配していたように黒桂岳下りの2重山稜でルートが分からなくなったが、得意の「有視界飛行」で木の隙間から僅かに見える天上小屋岳を目指して歩いた。メインザックを回収し、昼食を取って出発、今度は正規の巻き道を歩くので楽かと思いきや、雪が残っていて斜面と化している部分がたくさんあってキックステップを切るので疲れた。雪さえなければ刈払いもされていていい道だ。やっと稜線に戻って林道終点に飛び出し、峠近くのテントの主がシュラフを干しているところに出会った。熟睡していて朝方に私が通過したのは気付かなかったと言い、これから二軒小屋に下るのだという。なんとものんびりした山行でうらやましい。あの若さからして学生だろうか。しがないサラリーマンにはできない贅沢だ。
峠で若干休息し、濡れた靴下を履き替えて出発。もう時間的に暗くなる心配がないので保利沢小屋でも休憩し、釣り人の姿を見ながら登山口に戻った。
こうして残雪期の2週間で白峰南嶺の農鳥下降点から笊ケ岳間のピーク掃討作戦は大成功だった。もう南アでまとまって登り残した領域はなく、それこそ落ち穂拾いの様相だ。私にとっては暗黒大陸のままである北アの合間にでも挟み込んで最後の追い込みをすることになりそうだ。