奥日光
四郎岳、燕巣山 1993年10月2日
四郎岳に燕巣山。向かい側の日光笠ケ岳同様YAMAルーム3大怪人が登っているから前々から気にはなっていたが、公共の足では遠い山なのでなかなか決心がつかなかった。しかし、つい最近篠原さんが於呂倶羅山に続いてまたしても先を越して登ったのだ。地の利も多分にあるが、元栃木県民としては日光周辺の懸案の薮山のうち1つくらいは北海道に飛ばされる前に片づけたい。車だったら夜行日帰りで充分可能だが、電車、バスだと最低でも2日間、下手をすると3日間かかる。幸いにも10月の最初の週は創立記念日の金曜日から3連休なので、これを利用して両山を巡ることにした。
ローカルバス路線利用では行き当たりばったりの計画ではとても現地までたどり着けない。事前に詳細な計画を練った。エアリアマップでは片品村鎌田から丸沼湖畔の沼田温泉までバスが1日2本出ていることになっている。最も時間が制約される、このバスの時間に合わせて全ての時刻を決定する必要がある。早速東武バス沼田営業所に電話すると「その路線は運行されていません」との冷たい返事、やばいなぁ。手元のエアリアマップでは他に菅沼や日光湯元行きのバスがあるはずである。これだったら丸沼入り口付近でバス停があるかと思い聞いてみると、その路線も無い。あるのは丸沼スキー場までだそうだ。仕方がない、その時刻を聞いておいた。あとは歩けばいいや。
山での行動予定は、1日目は四郎沢の1個目の砂防ダムを越えた地点で幕営して、翌日6時にツェルトはそのままにして出発、佐藤さんの発見した廃道を歩いて四郎峠に至り、元気なうちに標高差のある燕巣山に登り、次に四郎岳に登って同じ道を下り、ツェルトが乾いたころに四郎沢の幕営地点に戻って畳んでバス停まで歩く。幕営地点については事前に篠原さんに問い合わせて、水場が近いこと、入ってくる人がいるとは思えないこと、水平な場所があること等は確認済みだった。YAMAルームは情報の宝庫だ。
もちろんみなさんのファイルは印刷して持参した。ただ、怪人だけは薮をかき分けたり沢を登ったりと目標のルートではなかったので置いてきた。従って佐藤さん、赤地さん、篠原さんの3つのファイルを一太郎で縮小印刷してA4に詰め込めるだけ詰め込んだ。熟読すると関門は3つあるようだ。一つ目は倒木がとうせんぼしている沢を通過してから左の尾根にとりつく地点、2つ目は2またの沢を右に行くところ、3つ目は佐藤さんの目印がある倒木だ。この3点をクリアすれば山行の50%は成功したと言えるだろう。この辺の記述は赤地さん、篠原さんの2つのファイルを読み比べるとかなりイメージが涌いてくる。こんな事を書いては失礼だが、失敗した事の方がかえって詳細に記述されるので後から読む人には分かりやすい。これは錫ケ岳で赤地さんが騙された赤テープについても言えたが・・・。
前日はザックのパッキングに追われた。どの程度の寒さになるのか分からないので防寒着は持てるだけ持った。シュラフは当然だがシュラフカバーも準備した。これでも足りなければ最後の手段、ガスランタンをつけっぱなしで寝る方法が残されている。やや危険はあるが、上からつるせばそれほどでもないだろう。ランタンは意外にガスを食わないし、暖をとるのにも使える。懐中電灯と違って照らす範囲が広くて明るいのも助かる。その他コンロや食料、無線設備等を詰め込む。山に持って行くには重いがHQJの所からはラジオを借用した。谷間なのでAMが聞こえるか心配な面はあるが、天気予報は何としても聞きたい。かさばるマットはザックの脇だ。ここでよーく確認すれば重大な忘れ物があることに気づいたはずだが見逃していた。
週間天気予報はころころ変わった。当初の予想よりも天気の崩れが遅れた分回復も遅れた。出発当日の朝は東京は雨だった。それでもアパートを出るときにはちょうど止んでいたのでザックカバー、傘は不要で助かった。時刻は8時、リミットから20分の余裕がある。中央線上りはいつものように超満員で、パンパンの60リットルザックにマットまでくくり付けて乗り込んだら殺されそうだ。一方、下りは立っている客は少なくて大きな荷物でもひんしゅくをかうことはない。このルートの選択は大当たりだった。
天候は北上するに連れて回復してきた。武蔵野線では細かい雨がガラスに付着していたが、埼玉北部から群馬に入る頃には雲の切れ間から青空がのぞくようになった。ときどき薄日が射す。良い傾向だ。上越線に乗り換えて渋川を過ぎると青空が広がってきた。まだ山間部では低い雲が残り、上州武尊や谷川岳は雲の中だ。日光方面の山々もまだ見えない。沼田で降りるとほぼ快晴になっていた。これで明日の天候の心配はほとんど要らない。珍しく天気予報は当たったようだ。先週の磐梯山がひどすぎたかな?
鎌田行きのバスはすぐに見つかった。待ち合わせ時間は10分程度あるのでトイレに寄ろうとしたら掃除中で入れない。なんとめぐりあわせが悪いのだろう。押し迫った状態ではないので鎌田で済ませよう。バスには5、6人の乗客がいた。平日だからだろうか、登山者の姿は私だけだ。このあとどのくらいの人がくるのか分からないので最後部の席に陣取って後ろにザックを立てた。が、結局これ以上乗客は増えなかった。
急坂を登り国道に合流、沼田の市街地を走っているうちは乗客の昇降も頻繁だったが郊外に出るとほとんどノンストップだ。椎坂峠を苦しそうに登りきり、しばらく下ると実家の車を使って山に登っていたころには良く通った薗原ダムからの道を合わせる。今後この道を通ることも無いだろう。やがて老神温泉へ下り、バスが通ったら対向車とのすれ違いができないほどの細い道を通って再び国道に入った。追貝では旧道に入り、2名の乗客を降ろしてとうとう私一人の貸し切り状態になった。皇海山への最短登山道の栗原川林道への細い路地を分けてまたまた国道に戻る。そして鎌田に到着、ここで乗換だ。丸沼スキー場へのバスが止まっていたがお客は皆無、誰もいないようなので遠慮無く最前列の席に座らせてもらう。荷物を置いてトイレに向かった。
出発時、やはり客は私一人だった。バスの運ちゃんと雑談しながら貸し切りのバスは丸沼スキー場を目指す。通常の利用者は丸沼のペンションの子供だそうだ。通学の足として使われているのだ。その他には日光白根に登る人が利用するようだ。でも、ここの路線では丸沼スキー場から菅沼まで歩くから山歩きの時間+2時間は余分にかかるだろう。それに日光湯元からのほうが交通の便も良く、片品側から登る人はマイカー以外は少ないと思われる。運ちゃんは山歩きそのものはしないが、茸取りが好きで良く薮に入るそうだ。今年の出来を聞くと悪いという。テレビ等では今年の茸は豊作だと言っているがどこもかしこもそうであるとは限らないようだ。
終点のスキー場バス停で降りると夏の間も1部のリフトは営業していた。ただし平日なので人の姿はほとんど無かった。夏も冬も変わらずにゲレンデに音楽を流していた。ここからいよいよ歩きになるのでシャツを脱いでTシャツになる。時刻をメモして出発した。丸沼分岐までの距離が所々に出ているので目安になる。坂を登りはじめてすぐに左手にピークが見える。たぶん燕巣山だろう。とすると手前の尾根のピークが四郎岳のはずだ。大尻沼を過ぎて丸沼湖畔上部を歩くようになるとようやく見慣れた風景が現れた。四郎峠を鞍部にして対峙する四郎岳、燕巣山の雄姿が。こう見ると四郎峠までは丸沼から簡単に登れそうに見える。傾斜も緩いように見えるが。山頂付近の所々にある広葉樹は紅葉して赤や黄色に色づいていた。
ようやく舗装道路歩きの最高地点に到着、一転して丸沼に下る。こちらも舗装の立派な道が続いていた。歩くにはいやな道だ。山の中を歩いているときには、道が良ければほとんど何も考えないし、薮の場合は絶えず周囲を見回して現在位置を確認しながら進むのだが、舗装道路の場合はそうではない。いろいろな事が頭に浮かぶ。特に忘れ物があるかどうか。それを考えていると重大なことに気づいた。コッヘルが無い!ということはお湯が沸かせない=飯が食えないのだ。重量軽減のためにインスタントラーメンを主食として選定しているからである。替わりになる物をさがなねば。替わりになりそうな物と言えば「空き缶」だろうか。金属製の容器でないと熱に耐えられない。取りあえずは350ccの空き缶は確保した。ただ、容量が少なく細いので直接ラーメンをいれられない。これ以上大きな缶が無ければカップラーメンの殻でも探して「チキンラーメン」のようにお湯を注いで食べようか。結局は適当な空き缶は見つからなかった。
ずっと下って湖畔近くまで来ると正面には立木がなくなって両山と丸沼の取り合わせがすばらしい。写真を撮る。やがて水面とほぼ同じ高さまで下ると立派な建物が見えてきた。丸沼温泉ホテルだ。正面を通過して駐車場に到着、佐藤さんは最も奥に車を置いたのだ。今は空いている。平日なので駐車場全体がガラガラだが。駐車中の車の主の大半は丸沼での釣り客らしい。
この先は工事用の林道が続いていた。篠原さんは間違ってここをまっすぐ進んで湯沢に入り込んだが先人の失敗があるからこそ後に続く者は楽できる。迷うこと無く細い流れの湯沢を渡って四郎沢の右岸にあるダートの車道を進んだ。これで一安心だ。徒渉するときにカップラーメンの容器が転がっていたので使わせてもらう。通常ならゴミがあるとむかつくものだが、いざとなるとゴミがないか探しながら歩くのだから情けない。これが誰も入らない山奥に入ってから気づいたらアウトだ。
四郎沢を歩き始めるとすぐに1連の砂防ダム群がある。砂防ダムが狭い間隔で幾つも並び、その間はコンクリートの護岸でつながっている。その最後のダムが最も大きい。これがみなさんの記事での「1つ目の砂防ダム」だろう。これを越えると車道は無くなり、その終点が比較的平坦な河原で下は砂地、しかも目の前を四郎沢とその枝沢が流れて水場は極近い。また、たしかに人がここまで入る気配はなく、ダムの裏側なので駐車場からも見えずに、山に行っている間にいたずらされる心配もない最高の地点だ。篠原さんの情報通りである。ただ、雨よけのための木が上に茂っていないのが残念だ。この天候なら雨の心配は無いが。谷の開けた方向にはドームの部分に雲をかぶった白根山が見える。
早速設営開始だ。このツェルトは2週間前に購入したばかりで、GWの鬼怒沼で使ったのとは異なるタイプで今回はじめて使う物だった。そのためにポールの張り方が分からずにちょっと手間取ったが良く構造を見てみると理解できた。赤地さんは重量軽減のためにポールを持たずに立木を利用しているようだが、今回は山の上に荷物をかつぎ上げるわけではないのでツェルト用のアルミポールを準備した。これがあれば立木がない場所でも設営可能だ。ステーを張って形が整うとフライをかける。これで少々の雨でも大丈夫、ツェルトとは言ってもポールとフライがあればテントとほぼ同じ役目を果たせる。設営が終わり、マットを広げて荷物を中に移す。これで準備完了だ。
まだまだ暗くなるまでに時間がある。篠原さんの記事を読むと佐藤さんの「希望の星」まではそれほど時間がかからないようなので空身でそこまで行ってみることにした。1個目の砂防ダムから2個目の砂防ダムはすぐそこに見える。ゴロタ石の河原の左岸に踏み跡が見られたのでそれをたどりダムを乗り越える。まさか踏み跡があるとは思っていなかったので驚いた。意外に入山する人はいるようである。歩き易い所をねらって右岸、左岸に飛び移りながら沢を進む。今は水が少ないので徒渉は簡単だった。全体的に踏み跡は左岸に続いている。
やがて3個目のダムが現れた。これも左岸から乗り越える。ほんの少し歩くとこれも左岸にはっきりとした道がある。沢から離れるのは不安があるが、あまりにもよい道なので歩いてみた。どうもこれは砂防ダム工事に使用した廃林道のようだ。沢筋に作られたがそのほとんどが崩壊し、ここだけが僅かに残っているらしかった。終点は4番目、最後の砂防ダムの下だった。ここの左岸にも踏み跡があるのでまたまた左岸からダムを越えた。これで全ての砂防ダムを越えたわけだ。
次の目標はナメだが、依然として流木やゴロタ石の河原は続く。やや不安になる頃に待望の白茶けたナメが登場した。まさに突如としてナメが始まっている。これでルートに間違いがないことがはっきりした。しばらくは安心できる。少し先に沢を跨ぐように細い倒木がある。沢の中でなくて沢の上に倒れているから歩行には全く支障がなく、増水によって流される可能性もない。滑り易いナメの中を歩くこと2分、3人のファイルにあるような倒木がとうせんぼいている沢が左に分岐している。さあ、ここからが第1関門だ。この先のどこかで左に上がるのだ。それが分かるかどうかが問題だ。しかし現実はあっけなかった。篠原さんが付けたのだろうか、「隔壁」へのとりつき地点には赤テープが付いていたのですぐに分かった。先の沢の分岐から1分も歩かない近さだった。難なく第1関門通過。
わりとはっきりした踏み跡があり、尾根に上がるとびっくりするほどはっきりした道があった。なるほど、これが廃道か。たしかにこの程度の道が峠まであるとは驚きである。尾根が狭まって先まで登ってきたナメ沢が良く見える場所に来ると文字がほとんど消えて読めない看板があった。それに十条製紙の赤い丸い標識板が上にある。ということはここが赤地さんが間違ってナメを直進して気づいてはい上がった場所だ。赤地さんの後にも同じ経験をした人がいるようで、ここにも赤テープがついていた。
この先はすぐに倒木でとうせんぼされていた左の沢に下っていた。再び流木とゴロタ石の河原に変化した。目の前にはやや細目の倒木が頭上を跨いでいた。佐藤さんのプレートがある倒木はまだ先だ。この倒木にはプレートの替わりに色のくすんだ細引きが結んであった。そしてそこから少し進むと今度は特大の倒木がこれまた頭上を跨いでいた。どうもみなさんのファイルで「倒木」と書いてあるものは沢の中に転がっている物ではなくて沢に橋がかかるように頭上を跨いでいる物を指しているようだ。沢の中に転がっているものだと増水すれば流されてしまい、台風シーズンが過ぎると無くなってしまう可能性が高い。9月初めという、比較的最近に篠原さんがここを歩いてレポートを寄せているが、その点の心配はつきまとっていた。だが、このような倒木だったら大規模に沢が崩壊するか、朽ち果てて折れるまでは確実に目印の役目を果たす。
特大倒木の下を通過して2分、沢が2つに分かれた。右側は水量の少ないガレた沢、左は水量の多い薮っぽい沢だ。ここが篠原さんが台風直後に登って右の沢の水量が多くて間違って左に入ってしまった分岐だ。今は水量はチョロチョロで簡単に右の沢に進める。水量さえ少なければ右の沢の方が薮がなくて歩きやすそうだから自然に正しい沢に誘導されるだろう。
ガラガラした細い沢を3分ほど進むと沢を跨ぐ太い倒木が見えた。その真ん中には白いプレートが!佐藤さんのプレートに間違いない。近づいてしげしげとのぞき込むと佐藤さんの書いた文字は「KQA」だけ微かに読み取れた。赤地さんが書いた「四郎峠↑」の青い文字はくっきりと残っている。さすがにペイントマーカーはマジックよりも対候性に優れている。また篠原さんの「MLJ」の文字もあった。私も落書きをする。
ここから僅かに進むとナメ状になり、そこから踏み跡は左の尾根に登っていた。上方の木には白いプレートと赤テープが目立つ。よじ登るとまるで刈払いされたような良好な道が続いていた。こりゃ、1級のハイキング道だ。ここまで道が分かれば明日は安心して歩けるに違いない。元来た道を戻った。ナメの部分は滑らないように注意が必要だ。20分ほどで幕営地点に戻った。
飯の前に、拾ってきた空き缶の頭をカッターで切断してコンロにかけてみることにした。ところが間の直径が小さすぎてコンロの足にかからない! さあ、困った。何かで支えないと。しかし周囲にはそれに使えそうな物がないのでまたまたゴミ拾いに出かけることにした。丸沼周辺だったら何かあるだろう。できれば大きめの空き缶がいいなぁ。再び沢を下って丸沼周辺を歩くこと2時間、大きすぎるが3リットル程度の容量がある缶詰の空き缶を探しだした。この大きさだったらラーメンが直接作れる。持ち帰って手が切れそうなほど冷たい沢の水で入念に洗う。また、一度お湯を沸かして熱湯消毒してお湯を捨て、再び沸かしてラーメンに使用すれば完ぺきだろう。
ツェルトに戻る頃には辺りは薄暗くなってきた。徐々に冷え込んできたのでシャツとセーターを着る。残照の中、外でラーメンをつくり餅を2個ぶち込んで今日の夕食のできあがり、ところが重大な?問題が発生した。昔は違ったと思うが、最近の缶詰類の内側は錆防止のため?合成樹脂でコーティングされているのである。これを加熱すると樹脂の臭いがプンプンするのだ。おかげでラーメンの味は悲惨なものでスープに至っては飲める代物ではない。それでも下手をすると食べられなかったのだ、それを考えると好運だ、我慢して食べる。味はともかくとして腹いっぱいにはなった。明日の朝もこの食事かと考えるとそれでけで食欲がなくなる。重くなるが予備の食料はレトルトにしておけば良かったなぁ。
食事が終われば寝るだけだ。ツェルトに入って中を整頓し、ランタンを点灯してシュラフに半分潜り、ラジオの天気予報を聞きながらまどろんだ。予報では明日は弱い冬型で関東は晴、東北及び日本海側は曇りや雨だ。この辺はどちらに含まれるだろうか。ただ、冬型と言うとこの辺は日本海側の天気に近いような気がする。その日本海側も午後からは天気が回復するそうなので、もし朝方天気が悪くても出発時刻を遅らせれば山の上では晴れるだろう。特に日光の山々では周囲では特別天気が悪くないにもかかかわらず、いつも明け方は天気が悪く、山々は怪しげな雲に覆われていることが多い。もう2年前になるだろうか、日光白根もそうだったし昨年の女峰山もそうであった。更に今年の鶏頂山に行っているときに山下さんは日光白根に向かったが、そこでも朝は雨で登るのを諦めて帰ってから快晴になり、鶏頂山の上からもはっきりとその姿を見せていた。
寝る前に着込めるだけ着ておこう。厚手のズボンを上から履き、ジャンバーを羽織ってシュラフにもぐった。更にシュラフカバーもかけた。そうしたら暑すぎて寝られず、シュラフのジッパーを開けて靴下を脱いでちょうど良くなった。ザックを枕にして眠った。夜半になり風が強くなった。地形的に開けているので風がもろに当たりツェルトが揺れる。月が出ているようで中が明るい。明け方近くは寒くなってきたがそれほどでもなくて助かった。この2日後に、すぐお隣の稜線で赤地さんが寒さにふるえながら眠れぬ夜を過ごすとは知る由もなかった。一方、こちらはなんとなく熟睡は出来なかったが睡眠時間が長かったので起床はすっきりしていた。
翌朝は5時半に起き出して空を見上げると低い雲が山にかかっていた。ただし、雲の厚さは大したことはなくて隙間から青空が見えるときもある。この状態なら時間が経てば晴れるだろう。どうせバスは17時だから時間はたっぷりとある。6時に出発の予定であったが1時間遅らせて7時にした。食事は昨夜に引き続きビニール臭い餅入りラーメンで我慢する。ラジオの天気予報では昨日同様の予報で関東は晴だ。雲の状態からも雨が降りそうにもない。でも念のために傘も含めて雨具は持っていく。もしかしたら山頂は1日中ガスがかかったままかも知れないので防寒具もたっぷりと持っていく。リグはピコ6とハンディー機だ。
午前7時に出発、この時点でも山々はガスの中だった。本来ならば高低差の多い燕巣山に先に登る予定だったが、時間が経つに連れてガスがとれる確率は高くなる。四郎岳は燕巣山よりも標高が低いからガスがかかる可能性が低いし、見晴らしが良くないという話だから例えガスがかかっていてもそれほどがっかりしなくて済みそうだ。先に四郎岳に登ることにする。燕巣山にはお昼前後に到着するだろうから、そのころまでには山頂も晴れるだろう。
昨日偵察したからプレートのある廃道入り口までは簡単に到達した。この先も諸先輩の記述通り良い道が続いていた。ただ、道に入って6分ほど歩くと右側が赤く風化した岸壁になり、崩れているのでやや道がはっきりしない。でも頻繁に山を歩いている人だったら迷うことはない、岸壁の左の縁を登って行けば再びはっきりとした道になる。この先では小さな沢をいくつか渡るので水場として利用できる。ただし、水量はそれほどではない。最後の沢の源頭を横切ると篠原さんの記述にもある倒木が道の上に平行に10mくらい転がっている。通常、倒木と言えば道と直角方向に倒れているものと相場は決まっているが、こいつは「へそ曲がり」のようである。これでは薮を歩くか倒木の上を歩くかどちらかしか選択できない。どちらかと言えば倒木の上を歩いた方がいいので、コケないように気をつけながら進んだ。所々には滑り止めのステップが切ってあった。これって、だれが整備したのだろうか。
ジグザグりながら高度を上げ、水平歩行になると峠も近い。最後に急な上りを過ぎると意外に痩せた四郎峠に到着した。木に覆われて見晴らしはない。結局終始歩き易い道が続いていた。稜線上にもそれに負けない立派な道が続いている。風の抜けがいいようで非常に冷たい北風が鞍部を吹き抜ける。やはり冬型の気圧配置の影響か。峠には標識は2つあり、1つは大きなステンレス板に大きな「E」の1文字、もう一つは赤地さんの付けたプレートで「丸沼分岐」と青い文字ではっきりと書かれている。あの「E」は何を表しているのだろうか、不明である。
さあ、四郎岳に向かおう。紅葉しはじめた林を登る。なるほど、初めは大した傾斜ではないが途中でいきなり急になる。これが一直線に山頂に延びていた。道は柔らかい黒土で2日前の雨でたっぷりと水分を含んで崩れ易く滑り易い。ゆっくりゆっくりと登る。新しい靴跡は無かった。雨で流されたのだろう。とても休み無しでは歩き続けるのは無理で、高度差50m毎に立ち止まって休みをとる。その間に反対側の燕巣山や物見山、鬼怒沼山の写真を撮った。まだこれらの山々の頂は雲に覆われていた。一方の四郎岳はガスはかかっていない。コースのチョイスは大正解。
しつこく続く急斜面を登っていると篠原さんの言うように何回か変曲点があり頭上が明るくなるが、高度計を見るとまだ頂上に達していないのが分かる。ちょくちょく足を止めながらようやく傾斜がゆるんで山頂の肩に到着、進むと三角点脇の白い棒が目に入った。山頂に間違いない。道はさらに先にも延びているが、いまだ登山口は謎のままである。複数人で車を使って行けば確認できるのだが。今後来る可能性のある人で複数で登るような人は思い浮かばない。当分の間は謎は謎のままだろう。
広い山頂だが薮が刈られているのは道の部分だけだから休める場所は狭い。道にしては充分広いが。見晴らしは噂以上に良くて、北側は全くダメだが南側の白根から三ケ峰にかけての稜線は良く見える。まだ白根は雲をかぶったままだ。その先には赤城山、奥秩父の山々、おまけに富士山もくっりと浮かんでいる。南側で木が立っているのは道の脇だけでその先は急斜面で笹が広がっている。そこまで行けばさらに好展望が得られる。
山頂標識はおなじみの物2つとその他2つがあった。最も大きな標識は日光笠ケ岳、三ケ峰、沼上山で見かけた物と同じようだ。この辺の薮山を集中的に攻めている人がいるのだろうか。もしかしたら唐沢山にも同じ種類の標識があるだろうか。山の本でも話題の「KUMO」の下には佐藤さんが付けた黒いフィルムケースがぶら下がっており、蓋を空けたが中味はない。そういえば前回の山の本「KUMO」一覧表は不備があるとの指摘があったようだが、栃木の山に関しては私よりも篠原さんや佐藤さんの方が詳しいだろう。私は最近はこの方面はあまり登っていない。人よりも詳しいのは安蘇山塊くらいだろう。まだ登り残しはたくさんあるが。あのリストをざっと見て漏れに気がついたのは富岡の「崇台山」だけだった。YAMAルームの皆で詳細に検討すればもっと出てくるだろうが。
いつもの所を掘って篠原さんのメールを回収した。いかにも掘ったぞといわんばかりの跡があるので簡単に分かった。フィルムケースはポリ袋に入って中のメールは濡れずにいた。篠原さんに倣って赤地さんの文章と思われる部分をコピーし、後に私のオリジナルな文を追加して手帳を破き、ケースに戻して埋めた。ここは群馬県の山だから次は群馬グループ(7M1HIG,JS1JDS,JA1KXW,もう一人,巻き巻きの君はちょっと苦しいかな)の誰かであろう。本当の薮山では無いので入る可能性のある人はけっこういる。もしかしたら栗原さんは既に登っているかも知れない。最近は書き込みがないので分からないが。
山頂の天気は曇りだった。四郎岳にはガスはかかっていないが太陽の方向には白根山があり、そこで発生する雲が日光を遮ってしまうのだ。上空は抜けるような紺碧の青空だ。あと数時間もすれば晴れ上がるだろう。それまではガマン、汗で濡れたTシャツを脱いでシャツ、トレーナ、セーター、ゴアを着る。おまけに軍手をつけてやっと落ちついた。地面が濡れているのでシートを敷こうとしたが、ツェルトの下に敷いたままであることに気づいた。替わりにゴミ袋の上に座り無線を運用した。
いつのまにか白根にかかっていた雲も取れてきれいな秋空が広がっていた。秋の柔らかい陽射しが射し込み暖かい。もう燕巣山のガスも晴れた。山頂に登る頃もこのぶんだったら快晴だろう。これから体を動かすから干しておいたTシャツに着替える。陽射しがあっても気温自体は低く、シャツ+セーターでないと寒い。
登りでは苦労した1直線の急斜面も下りになると早い。ただ、滑り易いので注意しながら下る。それでも1回、派手にコケて右腕とズボンの膝の部分を真っ黒にしてしまった。幸い、柔らかい土の部分が続いていたのでけがはなかった。ズボンは着替用も準備しているから思いきり汚しても大丈夫。この後も滑ることおびただしいが微妙なバランスを保ってこけるには至らなかった。早々に四郎峠に戻ってきた。
ここから本日最大の標高差を誇る燕巣山への登りが始まる。まず1891mピークを越える。樹林を通して丸沼が見えるが、この先の鞍部の展望がいいとの赤地さんのファイルを読んでいるので写真は撮らない。平坦なピークを越えていくつかの細かいピークを通過すると鞍部に到着、なるほど展望がいい。私ここで写真を撮る。ここから四郎岳と同等のきつい登りが始まる。同じ様な傾斜が遥か上まで続いているのが見えて、眺めているだけで気分が疲れてくる。地形図では四郎岳の方が急なようであるが、確かに部分的にはそうだが全体としては両者は同じに感じられた。余分なピークもあることだし、元気なうちに燕巣山に登った方がいいかも。
四郎岳よりも歩き易い道が延々と最大傾斜に沿って付けられている。こちらも無休憩では登れない。高度計を見ながら25m毎に立ち止まる。振り返れば四郎岳がこんもりと頭をもたげている。周囲の木々は紅葉の最盛期直前で気分を紛らわしてくれる。これでもか、これでもかと直登が続き、2180mを越えてようやく傾斜が緩んだ。やがて水平になり、最後の急斜面をよじ登ると待望の山頂の一角にたどり着いた。
話に聞いていたように今までの衣類に触れる笹はいっさい無いようなきれいな刈払いの道はここでぷっつりと途切れていた。この先は一面の笹の海だ。衣服に笹を触れさせないで進むのは「困難」ではなく「不可能」だ。踏み跡さえ無い。この状態に倒木が重なる道を進むのは怪人以外では難しい。見晴らしは最高で、北側は樹木に隠れているが南は一面の笹原なので邪魔物は無い。手が届きそうな距離に日光白根のドームがそびえている。山頂は今ごろは賑わっているだろうか。お昼だがまだ空気の透明度は落ちていないようで、富士山が見えている。右の方の山のどれかが八ケ岳だろうか、奥秩父の山と重なって判別ができない。東に笹の中を泳いで下ると東方向が良く見える場所がある。
なぜかこちらには「KUMO」が無い。そのかわりに「達筆標識」がある。例の大きな標識もだ。一本の木に4つの標識が縦に並んでいる。「達筆」が威厳を見せて最上段だ。はたしてペンチマンの到来はあるだろうか。いや、ペンチでは撤去は難しい。そのうちに「ドライバーマン」が登場する可能性も否定できない? バスの時間までは余裕がありすぎるので、食事をして下山予定時間までのんびりと風景を楽しんでから下った。四郎岳同様急な下りは登りよりも所用時間がずっと短い。1891mピークの登りでぐっとスピードが落ちるが、これで登りは最後なのでがんばる。ピークを越えて四郎峠に到着、「E」の看板にちょっと落書きと案内を書き込んだ。あとは淡々と下るだけで、途中の赤テープに落書きなどしながらあっさりと幕営場所に到着した。
出かけるときには濡れていたツェルトは思惑通りに乾燥した。中味を出してたたみ、ラジオを聞きながらパッキングを済ませる。まだ時間があるので丸沼湖畔で釣り人の様子など観察してからバス停に向けて歩きだした。余裕を持って出発したので回りの風景を楽しんだり植物を観察しながら歩いたりで丁度良いタイミングでバス停に着いた。そういえばこんなところを歩くのは私だけかと思っていたら、10人程度のグループが反対方向に歩いて行った。これから丸沼に行くそうである。近くのペンションに泊まっている人たちだろうか。その他は2台のタクシーが登って行った。
バス停で座っているとスキー場の従業員送迎バスが目の前で止まってオバサンが「乗っていけば」と誘ってくれた。乗る予定のバスが脇で止まっているところで鞍替えするのも申し訳ないが、約¥1000が浮くのも見逃せない。丁重にお礼を言って鎌田まで同乗した。そのころには山々には夕暮れが迫り、真っ黒なシルエットとして浮かんでいた。鎌田から沼田駅行きのバスはなぜか予定よりも10分遅れで出発となったが、予定通りの時間で駅に到着、ほとんど待ち時間がないピタリのタイミングで高崎行きが入線した。あとは高崎線→埼京線→中央線で東小金井までたどり着いた。徹夜登山と違って充分寝ているだけあり、車中では眠くならなかった。
これで懸案の山が一つ片づいた。次はどこがいいかなぁ。電車、バスは時間の制約があるが、旅としての面白さも多分にあることを知った。しばらくは電車、バスの「高度利用」が続きそうだ。
所用時間
1日目
丸沼スキー場バス停--(0:30)--丸沼分岐--(0:35)--四郎沢(幕営)
2日目
幕営地点--(0:02)--2番目の砂防ダム--(0:04)--3番目の砂防ダム--(0:01)--廃林道--(0:05)--4番目の砂防ダム--(0:04)--ナメになる--(0:02)--倒木のある沢が左に分かれる--(0:01)--左の尾根に上がる--(0:07)--太い倒木--(0:02)--右の沢に入る--(0:03)--プレートのある倒木--(0:01)--左の尾根に上がる--(0:06)--ガレ場--(0:03)--倒木の上を歩く--(0:08)--四郎峠--(0:41)--四郎岳(休憩1時間33分)--(0:18)--四郎峠--(0:55)--燕巣山(休憩1時間47分)--(0:24)--四郎峠--(0:39)--幕営場所--(1:39)--丸沼スキー場バス停
※この文章を書いたのは11年前であり、コースの状況は現在と異なっている可能性があります(コースが整備されているとも思えない)。特に沢や倒木、目印は10年も経過するとどうなっているやら。この記録は参考程度にとどめて現場の状況に即した行動をお願いします。