奥武蔵 観音山 2009年2月7日


 観音山という名の山は全国各地にたくさんあると思うが、今回は東秩父村にある観音山だ。登山道の有無は知らないが地形図上では破線は描かれていない。ちなみに下界に帰ってからネットで検索してみたが1件もヒットしなかったので、ほとんど登る人はいないようだ。堂平山、笠山から北に伸びる尾根上にあり、南側には萩平集落があって標高を稼げるのだが、山頂から遠くなってしまうため山頂の西か東側の麓から最短距離で登ったほうがいいと判断した。

 さっき登った大霧山の稜線上から観音山が見えたが、なんと山頂付近は大規模な造成工事が進行中で稜線が削られて無くなっている箇所もあった。地図で見てみたが山頂はどうにか残っているように見え、山頂南側直下から南側の460m峰間が消滅してしまったようだ。

大霧山稜線から見た観音山の造成工事現場

踏跡入口

 粥新田峠から北方の牧場に戻って東に下り、県道にぶつかったT字路付近で登れそうな場所がないか探したが人家があって取り付きにくい。少し南に向かうと県道脇から山の中に入っていく太い踏跡を発見、山頂に向かうのか不明だがここから歩くことにする。近くに車を置ける場所がないのでさっきのT字路付近まで戻り、広い空き地に車を置いた。

最初は明瞭な道

途中で左の薄い踏跡に入る

 踏跡はいい傾斜で登っていくが、基本的には山腹を巻いて南に向かっているようであり、あまり南に行きすぎると造成工事現場に出てしまう可能性があるのでどこかで踏跡を離れる必要があるが、うまい具合に途中で左に分岐する踏跡がありそちらに移る。少し登ると小さな墓地が登場、ここへの道だったのか。しかし踏跡はその後も続いており、尾根をジグザグに登っていく。さほどの藪ではないが踏跡は無いよりあった方がいい。

墓地通過後も踏跡が続く

場所によってはこんな明瞭な区間も

 やがて尾根の南斜面を巻きながら登るようになり、尾根からはずれて谷地形を歩くようになった。もしかしたらこのまま踏跡を辿っても山頂に導いてくれるのかもしれないが、全然違う場所に誘導される可能性もあるので最初の考えどおりに左の尾根に乗ることにした。背があまり高くない照葉樹林が主体だが隙間が多くて獣道を辿って尾根に出た。

尾根に出る。ここも踏跡明瞭区間

藪はほとんどない尾根が続く

 尾根上は北斜面側は落葉樹林主体で明るく、踏跡は無いが木の高さが高くなって木の密度が低下して今までより歩きやすい。部分的にはかなりの急な場所もあるが特に危険箇所はなく尾根を淡々と追っていけばいい。上部になると植林帯になり、潅木が無くなってさらに歩きやすくなった。

主稜線に到着。岩が登場。自然物?人工物?

岩から南側は造成工事現場。山頂は既に消滅

 傾斜が緩むと南北に連なる主稜線に到着、なんと南側は目の前まで造成工事現場が迫っていた。この場所は造成現場の末端で、工事現場法面の上に出たわけだ。ここはまだ削られていない、というかわざわざ新たに植林までして整備したようなので、たぶん削られることはないのだろう。まあ、公園のような場所になるのかもしれない。GPSで確認すると山頂は南方に約100mと出た。ということは地形図上の山頂は既に削り取られてこの世から消滅してしまったのだ。あらまあ・・・・。今のところはこの場所が旧山頂に一番近い稜線なので、ここを山頂としてもよかろう。

岩にはしめ縄らしきものが巡らせてあった

寛永通宝がお供えされていた

 稜線の真中には謎の岩がポツンと立っていた。今まで多少の露岩はあったがこんなにでかいやつは皆無だった。正直なところ自然の岩ではないように思えたが、さりとてあからさまに人工的に積み上げたとも断言しかねる。コンクリート等で固めてあるわけでもない。上に登ると最近の硬貨の他に江戸時代の通貨である寛永通宝が供えられていた。う〜ん、となると昔からこの岩がここにあったのか? でも岩自体はやっぱり新しげに見えるな。もしかしたら本当の山頂にでもあった岩を移設したのだろうか。ネットで旧山頂のことを調べたのだが冒頭で述べたように検索に引っかかった記録は皆無だった。もしかしたら武内さんなら大昔に登っているかもしれない。

尾根上で見かけた目印その1 尾根上で見かけた目印その2
尾根を外れて作業道?を下る。これは人家付近 この人家の裏に下ってきた

 帰りも途中までは同じルートで下山したが、尾根を下っていって右に作業道?が出現したのでそちらに入ったが、すぐに廃道状態となり倒木に阻まれたりと素直に尾根を下った方がよかった。やがて谷沿いに下り始め、最後は人家の裏に出てしまった。


所要時間  踏跡入口−0:10−尾根に乗る−0:14−観音山−0:12−車道

 

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