美濃西部 勝山 2009年1月3日


 山名事典によると、勝山とは関が原の合戦で徳川家康が本陣を敷いた場所とのことで、それまでは違う名前の山だったが戦に勝って今の名前になったという。この時期なら受験生はぜひとも登るべき山だろう。

 どこから登れるのか知らないので適当に車で接近すると山の北側の葬儀場に出た。周辺は墓地が広がり、その中に参道が上に伸びているのでそれを伝わればてっぺんまで行けそうだ。この付近は墓参客の車が路駐しているのでそれに混ざって車を止めて歩きだした。

墓地を抜けて車道を登る

勝山山頂

 墓地を抜けるとその先も踏跡が続いており、巻くように緩やかに登る砂利の車道に出た。左に曲がって緩く登ると右手が山頂らしいが草と竹ぼうぼうで突っ込むのはイヤらしいのでそのまま車道を進むと、右から回り込むように山頂の広場に出た。

展望台 解説看板その1
解説看板その2 解説看板その3

 特に一番高い場所はなく石碑が立っている付近を山頂としてよさそうだ。腐りかけた展望台があり、周囲に看板が立っている。どうやらここが本陣跡らしい。たぶんこの山では合戦は行われなかったのだと思うが、まるで関が原の合戦の死者を弔うように勝山は墓地に覆われた山だった。


所要時間  墓地北側−0:06−勝山−0:04−墓地北側

 

 

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