庵原郡 薩埵山 2008年1月26日

 


 今年は年頭から寒い日が続き、精神的に出かけるのが億劫となり1月終わりまで山に出かける気が起こらなかったが、このままでは1月は山無し月になってしまうので、寒気に覆われ寒さが厳しそうだが太平洋側では冬晴れが期待できる週末に久しぶりに出かけることにした。場所は少しでも暖かいよう寒気の末端に近い静岡東部の低山を考えた。浜石岳周辺には地形図に名前が記載された海岸に近い小さな山がいくつもあるので、1ヶ月ぶりの足慣らしにはちょうどいいかもしれない。

 所要時間を考えると東名川崎ICから乗るよりは調布ICから中央道を使って河口湖ICから富士市内を目指すのが得策だが、この時期の夜に朝霧高原を通過するのは路面凍結のリスクがあり、速度を抑えて走行して逆に時間がかかる可能性もある。最終的な判断は中央道甲府南ICから富士街道を南下、これが安全策だろう。久しぶりに高速を運転したが、あれこれ考えながら走っていたら甲府南IC通過に気づかず、次の甲府昭和で降りて適当に南下、いつものコースに乗ってからは延々と興津目指して南を目指した。高尾辺りから山肌には白い残雪が見られるようになり、山梨に入ってからは平地でも残雪が目立つようになった。富士川沿いでも周囲には雪がポツポツ見られ、先日の降雪は関東よりずっと多かったようだが、道路上には凍結箇所は無く順調に走行を続ける。

薩埵峠駐車場 薩埵峠から斜めに登っていく道

 

 最初の山は薩埵山を予定しているので興津手前で東名道をくぐる手前で側道を東に走り、薩埵峠まで行く予定である。側道は狭く、本当に峠まで行けるのか不安になるが、本格的に山に入るところで小さな案内標識があって一安心。ウネウネと少し登ると薩埵峠に到着、右に下ったところに駐車場があったので車を止めて仮眠に入った。ここは目の前に海が広がる好展望地で、対岸には伊豆半島の光が点々と続いていた。

 海岸に近く標高も100m以下の場所なので朝方の冷え込みは緩く、明け方の気温は5度でフロントガラスの水滴が凍ることはなかった。早朝からカメラを手にした観光客が次々と駐車場にやってきては、みかん畑を下っていた。どうやらこの先に展望台があるらしい。ただ、予報と違って一面に雲が広がり、箱根も天城も雲に隠れていた。これでは日中の日差しは期待できないかなぁ。予報では太平洋側は1日晴れのはずなのだが。

ミカン畑には入らないよう注意書きがある モノレールに沿ってミカン畑を登る

 

 地形図では薩埵山には破線が描かれているので、まずは登山口を探してみよう。飯を食い終わって防寒着を着て、10リットルほどの空のサブザックで出発だ。サブザックは体が温まったときに防寒着を収納するためのものだ。峠から右斜めに登っていく車道を歩きながら左手斜面に登山道が無いか探しながら歩いていくが、一面みかん畑で細い作業道はあるが登山道の案内標識は見当たらない。どこまでいってもそれらしき道が無いので、みかん畑の中を走るモノレールに沿って登ることにした。畑以外の場所は竹薮で、モノレールがなければ本格的な藪漕ぎだっただろう。このモノレールの終点はみかん畑ではなく地すべり調査用ボーリングタワーであった。その先は僅かに藪を突っ切るとみかん畑が再開、適当に歩きやすいところを登っていく。畑の中には縦横無尽にモノレールが通っており、どれかに沿って登ってきたとしても目印をつけなければどのルートなのか全く分からない状態だ。

ミカン畑間の杉木立を登る 廃屋の先で竹+葛ネットの強烈な藪

 

 最後のみかん畑を登ると廃屋があり、その前には一面の藪が広がっていた。これがクセモノで背丈ほどの竹の上に枯れた葛が網状に絡み合っており、掻き分けるにも蔓ががっちりつながっていて掻き分けられない。また、まるで這松漕ぎのように藪の上に乗ると網の隙間から足が落ちて地面に足が付かない状態で立って歩くのは不可能だ。匍匐前進のように両手両足で葛の網に圧力を分散させて落ち込まないように注意しながら進み、やっとのことで藪地帯を抜けて杉林に出ることができた。

「葛ネット藪」を越えると踏跡が出てきた 竹藪も切り開きがある
薩埵山山頂 布KUMOがぶらさがっていた

 

 杉の植林帯は頂上稜線の西端で、明瞭な踏跡が続いていた。少しでも樹林が開けて日当たりがいい場所は全て藪に占拠されているようで、踏跡は杉木立の中だった。おそらくは山頂よりも北側に行き過ぎているはずだが、念のためGPSの電源を入れて確認すると案の定山頂は南であった。踏跡を辿って水平な稜線を南下する。目印が点々と付けられており、竹薮は軽く刈り払われているので、最近歩かれたらしい。やがて送電鉄塔が現れ上空が開けたのでGPSで山頂位置を確認すると、行き過ぎのようで北東に30mと出た。そこは南側は竹薮に、北側は樹林に覆われたピークで、三角点は竹薮の中らしいが予想外に布製の「KUMO」がぶら下がっていた。これほど正確な山頂目印は無いので、このピークが山頂に間違いない。しかし、こんなところに武内さんが来ていたとは知らなかった。布の状態からしてここ数ヶ月くらいではないだろうか。おそらく寒くなってから登っただろうから、たぶん12月か今月に入ってから登ったのだろう。

切り開きを辿ると南東尾根へ 武内さんが付けたと思われるトイレットペーパー目印
南東尾根にはピンクリボン目印が多かった 竹林から南東尾根を見上げる

 

 帰りは目印と竹薮の刈り払いを辿って尾根を南下、すぐに南東の小さな尾根を下り始めるが、そこには工事用ピンクリボンの他にトイレットペーパーの目印が点々と残っているではないか。間違いなく武内さんが残した目印で、雨に解けずに残っていることから、つい最近登ったことがわかる。しかもこのくらいの山で目印を残しているのだから、たぶん夜に登ったのだろう。どこかの帰りにおまけで登ったのか、それとのこの界隈の山を一掃しにやってきたのか。どちらにしても今年初めての山で武内さんの痕跡を発見できたのは運がいい。

竹林に踏跡がある 水場もあった
ミカン畑を下って車道へ 峠からの最初のカーブで畑に取り付くのがいいようだ

 

 尾根が終わると孟宗竹林で、踏跡に従って小さな沢を横切って東にトラバースするとみかん畑に出た。あとは適当に畑を下っていくと朝方歩いてきた車道に出た。ここは峠から登り始めて最初のカーブであった。な〜んだ、ここから登れば余計な藪と格闘する必要はなかったのだ。残念。

所要時間
 7:23薩埵峠−(0:27)−7:50薩埵山−(0:18)−8:10薩埵峠

 

 

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