身延山地 身延山 2007年12月01日
身延市街から見た身延山 |
11月最後の30日、東京では雪が降るのではないかと思えるくらい寒い日中で、山登りの身としてはどの標高まで雪になったのか気になる。人間が歩く分にはいいのだが、問題は車の走行だ。ノーマルタイアで入れる高さによって登る山を選ぶ季節になってきた。毎年こんなに悩むのであればいっそのことスタッドレスタイアでも買ってしまった方がいいのかもしれないが、冬の間はノーマルタイアで行ける範囲しか登らないのが長年の慣習となっている。さて、今週はどうだろう? 今週頭は富士五湖周辺でも雪だったそうだから今はちょっと危険そうだから、もっと標高が低いところか南を目指すか。地図を見ていたら、身延山にはまだ登っていないことに気づいた。手っ取り早くロープウェイという手段も考えられるが、山屋としては自分の足で登りたい。久遠寺周辺では車を置くのが面倒そうなので、地図で破線が続いている山額集落の神社から登ることにした。ここなら標高約200mで夜中でも路面凍結はないだろう。
尾根末端の神社。消火栓左が尾根へ続く道 | 神社前車道はどん詰まり |
近場なので金曜日は比較的ゆっくり出発、相変わらず曇って非常に寒い東京を出て西に向かう。中央道では気温を示す看板が無いので山間部でどのくらいか分からないが、この交通量だから凍結を心配する必要はない。甲府南ICで降りて富士街道を南下、出てきた温度表示はなんと10度! 夜で10度は東京の今日日中の温度ではないか。こちらは寒いどころか非常に暖かい。これだったら富士寄生火山でも行った方が良かったかなぁ。国道からの分岐が非常にわかりにくく、案の定見落として行きすぎてからUターンし、龍雲寺の案内がないか見ながら走ると軽自動車が似合う細い路地を発見、入るとぐんぐん標高を上げて最後は龍雲寺境内に入ったが、地図を見たら行きすぎであった。戻って左に入れる道を探しながらゆっくり走るとらしき道を発見、入ってみると人家の裏に尾根が張り出し、そこには神社があった。地図表記通りでこの尾根に間違いない。しかし車道はどん詰まりで地図と違うが、まあそれは些細な問題だろう。ここで車を止めて酒を飲んで寝た。
神社から見た身延山 | 神社裏は竹藪で道無し |
尾根南直下に道があった | 送電鉄塔を過ぎると参道は廃道化 |
翌朝、朝の気温はあまり下がらず暖かかく、車のフロントガラスが凍ることもなかった。飯を食べて出発、神社の参道を登ると立派な神社があり、本日の登山の無事を祈願する。しかしこの先に道がない! 神社の裏は真竹の藪で、竹の隙間をくぐり抜けて登っていく。やがて左手に開けた空間を発見、なんと僅かに尾根を南に外れたところに明瞭な参道があった。場所によっては空堀のように数m掘れていることから昔から登られてきた参道に違いない。最近刈り払われた形跡もあり、これならてっぺんまで問題ないだろう。ところが送電鉄塔が現れるとその先で整備の形跡はぱったりと無くなり人が歩いた気配も無くなって竹が進出し始めた。どうもロープウェイの開通で参道は廃道化してしまったようだ。ま、いいか。登れないわけではいから。
廃道化した参道。獣道が多い | 照葉樹が多い尾根で藪はない |
人間が歩かなくなっても動物は歩くようで、獣道があちこちに見られる。参道の地形ははっきりしているが倒木が折り重なって歩くのが面倒な箇所もあり、獣道に従って歩きやすい場所を歩いて尾根を登っていく。温暖な地域のようで照葉樹が混じった落葉広葉樹林で、地面は落ち葉で覆われていた。いかにも里山の雰囲気で、参道が廃道化していても山登り自体は楽しさ倍増だ。尾根ははっきりしているし廃道があって目印の必要は無い。
露岩が混じる | 祠発見。やっぱり参道だった |
尾根が細くなると登山道のよう | 放置された杉植林の藪 |
植林が混じるようになると境界標識が現れ、参道が不明瞭になってきた。小規模な露岩が混じるが特に問題なく登っていく。いったん自然林の細い尾根になるが、その先は杉の植林帯に変貌、しかも植林してから手入れは全くされていないようで、どの杉も根本から横に枝が張りだして邪魔なことこのうえない。杉は本当に「針」葉樹だから葉をかき分けるのも痛い。こんな中にも獣道があるが、人間より背の低い動物らしくこっちが枝で塞がれるルートでも平気で続いている。こりゃ帰りもヤダなぁ。微妙に尾根が降り曲がっており、帰りに直進しそうな場所には時限式目印を取り付けた。まさか身延山で目印を使うとは考えもしなかった。
展望がある場所は少ない | 炭焼き窯跡? |
やっと杉地獄を脱出すると廃道化した参道の姿は消えていた。地図を見ると途中で左に巻くようなので、杉林の中のどこかで左に離れたようだ。これから上は尾根がはっきりしないらしく、目印をいっぱいつけないといけないかなぁ。今までほとんど樹林で視界はなかったが、狭いながら眼下が見渡せる場所があり富士川沿いの集落が見渡せた。この付近は再び自然林で明るく気持ちいい。尾根が右に曲がると再び植林帯に突入、しかし今度は木が成長して下枝は無く、自由気ままに歩くことができる。いよいよ尾根が広がって下りで迷うのは確実なので目印を残す。炭焼き窯の跡らしき石積みがあった。
蔓性植物が絡んだ足場の悪い急な登り | この上部は岩場で直進できない |
左にトラバースしてここから杉植林帯に上がった | 杉植林帯を適当に上がる |
だだっ広い植林の尾根を登っていくと突如として植林が終わって、落ち葉に覆われたザレた急斜面に変わり、植生は山葡萄や藤などの蔓性植物が多くなって猥雑な藪の様相だ。足下が不安定でズルズル滑りながら登っていくと、前方に岩が見えてきた。あれは登るのは難儀しそうなので左から巻けないか進路を変更して偵察、うまい具合に獣道がその方向に登っており、傾斜が緩んだ隙間から植林帯に抜けることができた。今までより傾斜は緩んだが、それでもまっすぐ登るのは大変な傾斜なので、もう少し左にトラバースを続ける。もちろん目印を点々と残す。一帯は薄暗い植林帯で、あちこちに獣道があるので、斜めに登っていくものをつないで上を目指すことにした。ザレた地面と違って固い地面は効率よく登ることができて大助かりだ。ここも尾根を成していない斜面なので帰りを考えると目印必須だった。
植林帯を登る | 町村界尾根に乗る |
山頂一角の電波中継所 | 中継所から道が出てきた |
また電波塔 | 左は防災行政無線中継所だった |
急な植林帯を登り切ると反対斜面は自然林のままの明瞭な尾根に出た。この尾根はどこに続くものなのか分からないが、帰りに直進したら車にたどり着けないのでまたしても目印だ。地図を見ると、どうから粟倉山から上がってくる尾根らしい。道はないが藪もなく明瞭な尾根だから、ここから登るのも面白そうだ。植林と自然林の境界を登っていくと最後は少しだけ笹藪が登場し、その先には霧の中から電波中継所が出てきた。いよいよ身延山山頂の一角に到着したようだ。GPSの電源を入れ捕捉を待ちながらも足を進める。中継所から先は笹の中に明瞭な道があり、今までと違って人の手が入った世界に復帰だ。進んでいくと鎖の車止めから先はダートの林道で、右に登ると再び電波中継所だ。林道は稜線を巻くようについているので植林を突っ切ってピークに直接向かうことにする。残念ながらGPSは衛星を捕捉できずにまだ使用不能だ。最高点らしき高まりに到着すると目の前には久遠寺奥の院が登場した。どうも奥の院の裏側が身延山最高点らしい。標識も何もなく、GPSがまだ使えないので山頂なのか不明だ。
奥の院西の展望箇所 | 展望箇所から見た八ヶ岳 |
展望箇所から見た南アルプス(クリックで拡大) |
いったん奥の院に下って開けた境内でGPSの捕捉を待つと、山頂は西に50mと出た。方位磁石を出して遊歩道らしき道を進むと樹林が開けてベンチが設置された展望地に出た。ここに山梨百名山の山頂標識が設置されていた。本当の最高点ではないが、身延山はなだらかな山頂部なので目くじらを立てるほどでもなかろう。展望図が置かれていたが残念ながら霧に覆われて視界皆無、本当なら南アルプスが見えるらしい。あまり疲労を感じないので休憩の必要もないが、濡れたベンチの上に断熱シートを広げて水分とエネルギー補給。すると徐々にガスが晴れて南アルプスの姿を拝むことができた。ここからだと笊ヶ岳が一番大きく、谷沿いに少しだけ雪が残っている。その奥には白くなった荒川東岳と中岳の頭だけ飛び出している。塩見岳は蝙蝠尾根と重なっているが上部だけ見えている。先週は間近に見た南嶺は僅かに白くなっているようで、その右手の農鳥は明らかに白かった。間ノ岳、北岳は当然のように白い。富士見山、御殿山の固まりの右には鳳凰三山、その右は赤岳を中心とした南八ッが見えているが白さは見えなかった。雲海に沈んだ甲府盆地の向こうは奥秩父の山々が並んでいた。休憩している間は無人で、出発直前にロープウェイでやってきたと思われる観光客がやってきた。まだ時間が早いようで2人だけだが、日中は増えるかな。
下山は登りのルートをそのまま戻ったが、登ってきたのは途中から尾根ではなかったので目印を残さなければ杉の植林藪まで戻るのは非常に難しい地形だった。尾根が明瞭になれば一安心、安心できないのは狩猟で、発砲の音なのか獣を追い払うためのガス空砲なのか分からないが、あちこちでパンパンやっているのが聞こえていたので、鈴を鳴らしながら下った。
所要時間
6:36登山口神社−(2:04)−8:40電波塔−(0:14)−8:54身延山展望台9:38−(1:07)−10:45登山口神社