御坂山塊西部 城山 2007年01月02日
城山はその名のとおり山城があった山を指すことが多く全国各地にたくさんあるが、武田信玄ゆかりの甲斐にもいくつか存在する。今回登ったのは合併してできた市川三郷町の旧六郷町南端付近にある城山である。登る前に調査等はしなかったので城跡がある山か不明だったが、麓に神社があるので参道くらいはあるだろうと考えた。登山ルートとしてはその神社がある鴨狩津向集落を起点とした北尾根か、車で標高を稼げるが水平移動が長い大石集落からの往復かどちらかだろうが、ルートが尾根上で分かりやすい北尾根往復とした。
鴨狩津向から見た城山 | 尾根末端にある神社のはずだがお寺だなぁ |
粟倉山を下山して車を走らせ、西島入口で逆方向の右折で橋を渡り右折、すぐにT字路になるので細い右の路地に入るとトンネルを抜ける。このトンネルが貫通している尾根が目的の北尾根である。トンネル上部には神社が見えて車道が上がっているのも見えたので車を集落に乗り入れたが、道は狭いしなんと道路を塞いでタイアを冬タイアに履き替えている人家があって通行不能なので、土手の近くに車を置いて歩き始めた。まあ、この上は神社しかなくほとんど車が通ることはないのだろう。
お寺前から尾根を登ると墓地 | 墓地が終わると竹藪に廃道がある |
竹藪を突き進む | これで竹藪を抜けて歩きやすくなる |
意外にしっかりした廃道 | 途中で廃道が消え尾根を辿る |
かなり急な車道を登ると立派な神社で、右手の尾根登りにはまっとうな道が上がっているではないか。これなら山頂までの往復は楽勝だと思いつつ足を運ぶと墓地になり(あれ? 神社じゃなくてお寺だったっけ?)、墓地が終ると道も終って竹薮になってしまった。でも何となく廃道化した道筋の凹みが見られ、藪を掻き分けて上がって行くと凹みが徐々にはっきりしてきて以前は道があったことは間違いなさそうだ。ただ、今は竹が侵食して藪に覆われているので地元でも歩く人がいなくなってしまったのだろう。杉の植林帯に生えた竹薮がうるさいので尾根の西側の藪が無い斜面をよじ登り、竹が無くなってからは道筋を辿った。尾根の傾斜がきつい区間は道の痕跡がはっきりしていたが、傾斜が緩くなると徐々に薄くなってきてやがて消えてしまったので適当に尾根を歩く。全体的に杉の植林帯に覆われているので、さっきの竹薮以外はほぼ藪は無い。
そろそろ山頂 | 城山山頂。標識が立っていてビックリした |
傾斜が緩むと尾根が広がり下りで迷いそうだが、これだけ小さな山だと少しくらいコースを外れても危険は無いし、車からさほど離れた場所に出る心配も無いので目印はつけなかった。山頂手前で段差があり、これが山城の遺構なのだろうか。やがて山頂に到着するが山頂標識が立っているのには驚いた。どうやら南側に続く尾根に道があるようだが、大石集落が起点なのか他に登山口があるのかは不明である。帰ってから登山記録が無いか検索してみたが見つけることはできなかった。
所要時間 ICレコーダのデータを誤って消去したため不明